「再ひ新聞紙上の廣告に就て」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「再ひ新聞紙上の廣告に就て」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

再ひ新聞紙上の廣告に就て

新聞紙上の廣告は有らゆる廣告手段の中にて最も効能の著しきにも拘はらず我國の商賣人が兎角に之を利用することを憚るの情あるは甚だ謂れなきことにして詰る所營利に迂闊なるの謗を免かる可らずとの次第は前號に詳述せしが元來新聞廣告の利益は啻に商賣人が品物を賣弘るの塲合にのみ限らず凡そ人間社會に之を用ひて便利なる事■(てへん+「丙」)は枚擧に遑あらざる其中に我輩が特に世人の注意を促す所のものは少壯者の流が生業の地位を詮索するとき及び會社商店若しくは私の家族等にて人を雇入れんとするの塲合に當り互に其求る所を新聞紙上に廣告せんには双方の爲めに大に利益あらんことの一事なり今廣く世の中を見渡すに生活の爲めに職業を求る者は何れも仕事の口なきに苦しみ苟も糊口の路さへ得らるれば如何なる辛苦勞働も辭する所にあらずとて只管生業にあり付かんことを望みつつある其一方に於て既に社會に身を立てて人を使役するの地位に在る者は皆異口同音に世間に用ふ可き人物なきを歎じ常に手を盡して有爲の人を雇入れんことに汲汲たるは何故ぞや畢竟するに世間に仕事なきに非ず又人の乏しきに非ず唯人物と仕事と相會するの機を得ざるが故に双方ともに不足を感ずるのみ新聞紙上の廣告は即ちこの二者をして互に他の所在を知らしむるものにして喩へば媒酌人が曾て相見たることなき男女を引合はして結婚せしむるものに異ならず左れば西洋諸國にては地位を求る者も雇人を求る者も皆新聞紙の廣告に依て其望を達するの常にして彼の地にて發行する新聞紙は大概皆この類の廣告者の爲めに特別の欄を設け置く程の次第なり米國紐育市のウオールド新聞は世界中にて最も廣告多き新聞紙なるが昨年中同新聞に掲げたる雇人に關する廣告の件數は四十三萬七千餘に達したりと云ふ即ち日日の件數凡そ千二百の割合なり亦以て米國人が新聞廣告を利用するの状况を窺ひ知るに足る可し我國舊來の習慣に據れば都て雇人に關する事は所謂慶庵なるものありて之を周旋するの例なれども慶庵の周旋はその區域甚だ狹くして迚も文明繁多の世の中に用を爲す可きものに非ず日日幾萬人の眼に觸るる新聞紙の廣告は恰も一時に幾百の慶庵に依頼するに等しければ慶庵の業は其働不活溌にして遂に廢止するに至る可きは勢に於て明白なる所なり且又從前の慣行に慶庵に掛る者は皆下等の婢僕に限るの例にして中等以上の人にて才學ある者などは下女下男と伍を爲して慶庵の店頭を窺ふ可きにあらず左りとて他に良法の在るにもあらざれば唯知人に依頼して何分の周旋を懇請する位のことに過ぎず實に迂遠の沙汰にこそあれ今日と爲りては此種の人も漸く新聞廣告を利用するは時勢相應の謀なる可し或は一片の廣告に據て直に人を雇入るるは聊か不安心なりとの説もあらんかなれども是れは餘計の心配なり廣告に應じて人の來ることあるも必ずしも其人を採用するの約束あるに非ず若しも不安心の廉あらんには委しく本人の身元を取調べ或は保證人を要求するも差支はある可らず安心不安心の點に於ては慶庵の周旋も新聞紙上の廣告も正しく同樣のことなれば世間上流の士人にても苟も立身の道を求るの意あらば從前の如く習慣の奴隸たるを止め自から進んで新聞紙の効力を利用せんこと我輩の呉呉も勸告する所なり