「大に對韓の手段を定む可し」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「大に對韓の手段を定む可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

大に對韓の手段を定む可し

朝鮮に對する防穀事件の談判は年來の難問題なりしも當局大臣の訓令その宜しきを得たる

と大石公使の處置機宜を誤らざりしとに由りて無事に終局を告げたり日韓兩國の平和の爲

めに祝す可き次第なれども凡そ人間雙方の關係に於て本來の事理は兎も角もとして一方に

滿足の結果を得れば一方に不平あるを免れざるは普通の常情にして外國との交渉事件に於

ては所謂國贔屓の心よりして殊に其情の盛なるを見るの常なるが故に防穀事件の始末は幾

分か朝鮮國民の情を害したるや疑ふ可らず左なきだに彼等は年來日本に對して面白からざ

る感情を懷く其處に今復た更に一層の深きを加へたりとあれば今後兩國の交際は自から圓

滑を欠くの掛念なきを得ず我東洋政略の爲めには此上もなき不利なれば何とかして其感情

を和らげ我に親しましむるの工風は目下の急務なる可し聞く所に據れば或は大石公使を召

還し他人をして代らしめんとの説もありと云ふ盖し大石氏が今度の處置は頗る強硬なりし

が故に代ふるに温良の人物を以てして其後を善くせんとの意味なる可し自から一策として

見る可きが如しと雖も熟ら熟ら事情を案ずるに明治十七年の變亂後は彼我の關係全く一變

して彼人民の腦裡に到底拭ふ可らざる一種の感情を印せしめたるは又疑を容れず盖し變亂

の一事以來彼等が日本を以て禍心を包藏するものと爲し之を疑ふ其疑は事理を辭せざる未

開國人の常として怪しむに足らざれども爾來日本の擧動は遽に趣を變じて恰も何か憚る所

あるが如くなるにぞ彼の眼より見るときは扨は事の成らざるより姑く翼を収めて機會を窺

ふものには非ざるかなど種々の推測を運らして内心穩ならざる其際中に防穀事件の談判は

從來の緩慢に似ずして頗る人の耳目を驚かしたることなればいよいよ疑をして深からしめ

ざるを得ず從來政略の欠典は屡ば方針を變ずるの一事にして其變化は以て他の情を和する

に足らざるのみか寧ろますます其疑念を長ぜしむるに過ぎざれば今更ら公使を代えて更に

手段を異にするが如きは策の最も拙きものと云はざるを得ず况んや彼國の現状を察すれば

防穀事件の如き事抦の今後屡ば起る可きは必然にして今回同樣の手段を要するの塲合ある

可きに於てをや公使更代の説は我輩の取らざる所なり或は手段を異にするが爲めに果して

彼の歡心を収るの見込あるに於ては又自から格別なれども從來の例に徴するに嚴なれば我

を怨んで異心を挾むものと爲し寛なれば之に狎れて動もすれば我を輕蔑せんとすること彼

國民の常にして今日の儘にては互に打解けて相親しむの望はある可らず區々たる手段の變

化の如きは無益の沙汰にことあれば若しも眞實に兩國民永久の和親を謀らんとするには先

づ我政略を定めて多年結ぼれたる雲霧の根底より一掃するの大手段なかる可らず凡ろ人を

動すに必要なるは威福の二にして大に威を示して他を伏從せしむるか然らざれば大に福を

施して其歡心を得るの外に手段ある可らず從來彼等が我國に對して威に服するにも非ず亦

德に感ずるにも非ず怨むが如く狎るゝが如くにして唯冷淡に歳月を消したるは畢竟我威福

の小にして他を動すに足らざるが爲めのみ若しも我東洋政略の爲めに朝鮮の事を等閑に付

せずして從來の感情を一掃し去り大に彼に親まんとならば威福の兩手段の中、いづれにか

説を定めて固く動かず着々その方針に向て斷して行ふ所なかる可らず即ち威を以て必要な

りとせば飽までも方略を嚴にして一毫も假すことなく徹頭徹尾これを伏從せしめて然る後

に更始の謀を爲す可し或は福を施すなりとせば大に之を施して充分に其歡心を収むること

肝要なる可し其手段に至りては自から當局者の所見に存ずることなれども兎に角に風雨一

過の後に非ざれば青天白日を見るに難かる可し我輩は從來の小威小福を止めにして大威大

福の大手段を勸告するものなり