「一時の虚影に非ず」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「一時の虚影に非ず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

一時の虚影に非ず

銀價の下落は我商品の輸出を奨勵すると同時に内國諸般の物價を騰貴せしめて物を製すれば必ず賣れ、賣れば必ず益するの結果を呈す可きは明白にして今後日本の商賣工業は萬々歳の景氣を見るに至る可し我輩の敢て斷言する所なれども或は其事實を許しながらも其景氣は一時の虚影にして眞實の繁昌に非ず即ち彼の不換紙幣濫發の現象と同樣のものなりとて頻りに愁を催ほすものあるこそ奇態なれ即ち此輩は銀價の下落と紙幣の濫發とを同一のものと觀て其結果も亦同一なる可しと漫に想像することなれども氣の毒なるかな其想像は事實の判斷を誤りたるものと云はざるを得ず聊か其結果に相違あるの次第を語らんに抑も日本政府は明治十年西南の戰爭の爲めに國庫に空乏を告げたるより一時の急に迫まられて紙幣濫發の手段を行ひたるに因果覿面、次第に其結果を現はして紙幣と銀貨との間に差を生じ通貨下落の有樣を呈したるより諸般の物價は次第に騰貴して商賣繁昌の景氣を催ほし都鄙到る處に歡聲を聞きたるは明治十三四年頃の有樣にして彼の銀貨相塲の橫濱に行はれたるも其頃の事なりき即ち紙幣下落の現象にして其有樣は銀價下落の結果と同樣なるが如くなれども實際に於て大に異なるものあるは外ならず紙幣下落の結果なる世間の景氣は單に日本一國内の事にして外國に對するときは則ち然らず例へば從來日本の米價は一石四五圓のものが紙幣下落の爲め十三四年の頃には十圓以上に騰貴したり其騰貴は世間繁昌の兆として見る可きものなれども若しも其米を外國に輸出するの一段となれば十圓の價は紙幣に對する呼直にして銀貨に於ては依然として四五圓の價に止まるものなれば其呼直は全く空なる尚ほ其上にいよいよ輸出の塲合には當時の為替相塲の差に由りて直段を決せざる可らず即ち不換紙幣の濫發より來りたる物價の騰貴は單に一國内一時の景氣にして之が爲めに外國との貿易を奨勵するにも非ず日本の富實を增すにも非ず外に對すれば依然たる元の木阿彌にして一物をも利せざるのみか其景氣は本來一時の虚影に過ぎざれば忽ち反對を來して忽ち昨夢の非を悟る其趣は登樓の酒客が翌朝酒醒めて醉中の豪遊散財を悔ゆるものに異ならず即ち十五年頃より十六七年頃の不景氣慘状は其反動の結果に外ならずと知る可きなり然らば今回銀價變動の結果は如何と云ふに物價騰貴商賣繁昌の景氣は紙幣濫發の時の有樣に異ならざれども其景氣は單に國内限りの醉夢に非ずして外國貿易の關係より來る處の事實なり例へば米の價一石七圓何十錢なりと云ふ之を海外の金貨國に輸出するときは金に換算して四圓何十錢に過ぎず別に高く賣るにも非ず取引の實際に於ては寧ろ幾分か安く賣るの實もあらんなれども銀貨國なる日本より見れば矢張り七圓何十錢の高直に賣ることにして紙幣濫發の塲合とは全く事情を異にするのみならず其變動の爲めに我輸出の增加するは疑ふ可らざる事實にして詰り一方に於ては海外の輸出を奨勵し一方に於ては國内の物産工業を發達せしむるの結果を見ることなれば日本の商賣貿易は實際に圓滿の景氣を催ほして一時の虚影に非ざるを知る可し即ち紙幣濫發の景氣は日本一國内の事にして銀の變動は海外貿易の大勢に關係するものなればなり或は事の極端を想像して銀の價全く下落して一文の直打もなく土塊に等しきまでに至らば如何、夫れにても尚ほ日本の景氣は景氣なりやとの説もあらんか銀の價は次第に下落に赴くと云ふと雖も一文の直打なきに至るが如きは實際にあるまじき談なり假りに一歩を譲りて斯る極端の塲合ありとしても我輩は尚ほ我國の萬々歳を唱ふるに躊躇せざるものなり前號にも述べたる如く我に必要もなき銀が限りもなく内に流込む可きの理由あらざれば日本國内に在る銀貨銀塊は中央銀行の準備金其他を合せて凡そ一億圓の額に過ぎざることならん一億の銀が全く價を失ひたりとて何の患ふる所ある可きや輸出增加、物産發達の爲めに日本國の富は非常に膨張す可き其富の全體よりみれば銀の如きは實に微々たる一小部分のものにこそあれば全體の利益の爲めには一小部分の損失顧みるに足らず俗に云ふ蝦を以て鯛を釣るとは即ち此事なる可し我輩は此に到りてますます我商賣貿易の隆盛、國家の富實を疑はざるものなり