「金錢と失行」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「金錢と失行」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

金錢と失行

金錢を輕んずるは日本士人の通弊にして我輩の毎度言を費したる所なれども其士人が一方に於ては金錢を輕んずると同時に一方に於て兎角金錢上の失行多きは一見甚だ奇なるが如くにして自から其間に離る可らざるの關係あるを見る可し抑も士人たるものが此世に處するの道は一ならざれども一身の獨立より先なるはなし獨立とは他人に依頼せず自から衣食し自から生活するの義にして其獨立は如何にして得べきやと云ふに固より金錢の力に依らざるを得ず金錢果して士人の獨立を得せしむるものならば又その獨立を失はしむるの力あることを記臆せざる可らず日本の士人が金錢を輕んずるの習慣は果して其獨立を重んずるの精神と併行す可きや否やと云ふに我輩の所見を以てすれば世間に動もすれば金錢上の失行を演するものあるは畢竟平生より錢を輕んじて一身の獨立を得ざるより止むを得ずして法外に逸するが爲めなりと斷定せざるを得ず今の一般の士人を見るに自から獨立の實を全ふすること能はず動もすれば他人に依頼して一身を支へながら傲然清貧に安んずると稱して金錢の事を意に關せざるもの少なからざるが如し金錢素より人生の目的に非ず其事に屑屑たらずして清貧に安んずるも自から一種の安心なる可し敢て咎む可らずと雖も人間の榮枯盛衰は其變化瞬息の間にして朝、夕を圖る可らず一旦不慮の變に際して家事の急を告ぐるに至るときは平生さへ他人に依頼するを免れざる身代に於ては進退こゝに窮りて勢、親戚朋友に累を及ぼさゞるを得ず獨立男子の本旨に非ざるのみか或は他人の懐中を當にする恥知らずの横着者と評せらるゝも之に對するの辭はなかる可し清貧の安心決して貴ぶに足らざるなり或は其友人たるものも他の急に走るを以て朋友の義務の如くに心得、その急に際しては自から借金しても之を救ひ又は他の借用證文に連印したるが爲めに法廷に訴へらるゝが如きものさへなきに非ず自から人生の美德として見る可きが如しと雖も抑も其朋友なるものゝ一身は果して獨立の實を全ふし自から奉ずるに充分にして其餘力以て他を救ふに足るの資産あるものなるや否や若しも其餘力を以て他を救はんとするものならんには毫も議する所なけれども自から其獨立を犠牲に供して他に殉するに至りては沙汰の限りにして是輩も亦獨立の價を知らざる卑屈男子の同流と云はざるを得ず如何となれば他の急を救ふが爲めに自から獨立の本領を失ふて辭せざるものならんには若しも一旦地を易えて己れ自から其局に陥るときは他人の己れに對するも亦かくの如くなる可きを望むこと必然なればなり右の如き次第にして今の士人は金錢の爲めに獨立を失ふことを顧みざること一般の弊なれども既に其獨立を失ふときは更に一歩を進めて苟も士人の所行にあるまじき失行を犯すに至るも亦自然の結果ならざるを得ず近來世間知名の士にして往々金錢上に宜しからぬ風聞を傳へらるゝものあり其中には固より誤傳虚報も少なからざることならんと雖も兎に角に今の氣風として金錢を輕んじ清貧に安んずるの事實ある以上は一方に右等の失行を演するものあるも實際に免かれざるの結果として見る可し士人の心事表裡陰陽ともに清淨潔白にして金錢は入らずと云ひ貧乏は樂なりと云ふ其口にする所をして果して眞實無妄ならしめば此世は物外の仙境にして誠に氣樂なれども實際に人間の渡世は甚だ困難にして表面には潔白の士人と雖も内實は一身一家の生活に心を勞せざるものはある可らず其心配こそ即ち處世の弱點にして往往他物の爲めに犯さるゝの原因たるものなり人の風邪に犯さるゝは衣衾の薄きが爲めなり之を避けんには先づ其衣衾を厚ふするこそ肝要なれ美人と密室に語り遺金を途上に看て情を動かさずと云ふは有妻有福者の言にして始めて信ず可し獨身貧窮の人に於ては嫌疑を免るゝこと難かる可し今の士人にして世間の疑を免れんとせば先づ獨立の實を備ふること肝要なり一身獨立する能はずして吾は清貧に安んずと云ふも誰れか其言を信ずるものあらんや我輩は士人が金錢を輕んずるの氣風が却て其失行を招くの原因たらんことを恐れて敢て一言するものなり