「鐵道敷設を妨ること勿れ」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「鐵道敷設を妨ること勿れ」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

鐵道敷設を妨ること勿れ

目下金融緩慢にして人みな投資の路なきに苦しむの折柄、大に鐵道工事を起し一は以て富豪に資本を活用するの機會を與へ一は以て内地の運輸交通を便にして實業の發達を謀る可しとは過日の時事新報にも詳論せし所なれども何故にや政府は鐵道擴張に對して頗る冷淡に構へ全國各地より陸續呈出する敷設請願の多きにも拘はらず容易に許可の命令を與へずして空しく今日の好機會を過ぎ去らしめんとするものゝ如し堪へ難き次第なりと云ふ可し或は當局者の考にては人民の願出に任せて容易に之を許可するときは他に競爭線ある地方、若しくは本來乗客貨物の見込み少なき地方に漫に鐵道を敷設し他日開業の上収入少なくして困難することある可しとて竊に新線路の增加を悦ばざるの情もある可しと雖も今日我國の鐵道哩數は僅に二千哩に足らず國の面積、人口の數に照して多きに過るが如き恐れは萬々ある可らざるのみか尚ほ此上に數千哩を敷設するの餘地は充分に存するものと云ふ可し然るを今より競爭の弊を掛念して新工事を差控ふるが如きは俗に所謂取越苦勞にして我輩の更に感服せざる所なり且つ又後來鐵道に利益ある可きや否やを前以て斷定するは極めて六かしき事柄にして鐵道の未だ出來せざる中には運搬額甚だ少なき地方にても之を敷設して運輸交通を便利にするときは是れが爲めに乗客貨物の數量俄に增加して會社に豫想外の利益を與ふることは決して珍しからぬ事例なり新に鐵道敷設を企る者は凡そ此邊の事情を取調べ是れを考へ其れを諮詢し愈々利益の見込ありと決斷して然る後に始めて政府に出願するものなれば假令ひ當局官吏の意見にて出願者の見込通り利益なかる可しと鑑定したればとて單に其故を以て願意を聽届けざるが如きは不當の干渉餘計の深切と云はざるを得ず若しも當局者に左程の深切あるならば何故に今一歩を進めて今日既設鐵道の株を法外の高價に買入るゝ人々に向て制止を加へざるや目下鐵道株の中には辛ふじて僅に三四分の配當を爲し得るのみにして其市價は遙に額面以上に在るもの多し此類の株を買ふ者は何れも後來配當の增加せんことを見込んで是を購入する者ならんなれども事の實際に於て諸株盡く前途に望あるものゝみに非ざるは勿論なれば今日大金を投じて高價なる鐵道株を買求めたるが爲めに後日非常の損失を蒙る者は必ず少なからざる可し政府は若しも後來利益の見込なき鐵道の敷設を許可せずと云ふならば同樣の理論にて配當金に割合はして法外に高價なる既設鐵道株を買ふことをも制止す可き筈なり如何となれば人民の身に取りては新設鐵道に錢を投じて之を失ふも既設鐵道に投じて失ふも其結果に於て更に異なる所なければなり左れば政府に眞實の深切ありて實際に行はる可きことならば株券の賣買にも干渉して然る可きなれども是れは實業社會の事にして自然の成行に任ずるの外なきが故に捨置くことならん然らば則ち新線路の敷設も等しく實業社會の事なれば之に干渉せんとするも其口實はなかる可し然かのみならず近來鐵道株の非常に騰貴したるも其原因を糺せば政府が私設鐵道の敷設を許可するに吝にして爲めに資本家をして資本を卸すの處なきに苦しましむるの一事亦た興りて力ありと云ふ夫れ或は然らん之を要するに商賣工業の事は都て自然に放棄して成る丈け他より干渉せざるこそ得策なれ利害損得は唯當業者の自業自得に一任す可きのみ士族流の政府が經濟の議論に巧にして實際の實を解せず却て實業社會の秩序を攪亂して國家の不利を釀すの傾あるは我輩の取らざる所なり