「御巡幸の屡ばならんことを祈る」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「御巡幸の屡ばならんことを祈る」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

御巡幸の屡ばならんことを祈る

王室の御盛德を國中に遍からしむるの一事は我輩の兼てより希望する所にして今更ら云ふまでもなきことなれども時々隨處の御巡幸を仰出され人民をして親しく聖德を仰ぎ奉らしむるが如き最も肝要なる可しと信ずるなり在昔王室の盛時に於ては軍事もしくは政事の爲めに天皇親から外に出でさせらるゝは申す迄もなく或は田獵の爲め或は遊樂の爲めに時々の御巡狩は平常の事にして國中の人民は親しく龍顔を拝してますます聖德の有難きを感じ奉るの常なりしに中古支那の制度文物を輸入してより社會萬般の仕組所謂東洋流の虚文虚飾に流れて王室の御儀式などは特に鄭重尊大を尚ぶの風となり時々の御出入等も以前の如く簡易なるを得ず隨て御巡幸の事も全く儀式的のものとなりしのみならず其後藤原氏の專權に引續き武人政治の世と爲りては天皇は恰も深宮の中に蟄居あらせらるゝの御姿にして御外出等の事は全く止み隨て國中の人民をして親しく聖德を拝し奉るの機會だに得せしめざりしこそ畏れ多き次第なれ西洋諸國の帝王の如きは平生の起居動作甚だ自由にして國中の巡幸は云ふまでもなく或は外國の風を觀るが爲め或は避暑遊樂等の爲めに旅行を試みらるゝこと其常にして行装の如きも極めて手輕なるが故に人民は之に接し之に親しむの機會多くして知らず知らずの間に王家の德をして一般に遍からしむるの効能少なからざるが如し即ち彼の君民の間甚だ懸隔せずして然かも一種藹然たる感情の存するものは上下共に自から勉むるに非ずして其相近き相親しむの間に發したる自然の結果なりと云ふ可し我國の事態は自から別にして固より日を同ふして語る可らずと雖も支那朝鮮等所謂東洋諸國の帝王が常に深宮の中に在りて外に出づることなく稀れに偶ま偶ま出づるときは威儀堂々傍を拂ふて人民をして屏息せしむるが如き決して我國固有の習慣に非ず或は東洋に於ては君主の外出は人民に難儀を掛くるものなりとて却て他を憐れむの情よりして之を謹しむなどの談もなきに非ざれども畢竟その事の大仰に過ぎて金を費し人を勞すること非常なるが爲めのみ虚禮虚飾の弊と云はざるを得ず我日本は王政維新以來百事東洋の弊習を脱して西洋流の簡易を旨とするに至りし中にも王室の御擧動の如き或は親から三軍を統率して風雨の中に玉體を勞せられ或は時々四方に巡幸して民間の疾苦を訪はせらるゝ等、その勇壮活溌の御有樣は王朝の昔に比して優ることあるも劣ることなし吾々臣民たるものゝ只管感服し奉る所なれども其事たる何れも公の御職務に止まりて時々御慰みかたかたの御巡幸稀れなるは我輩の私情に於て遺憾なきを得ず例へば山間海邊の地に離宮を設けられ夏季盛暑の間に御避暑の行幸あらせらるゝなどは恐れ多きことながら第一玉體の御保養の爲めにも然る可きことにして我輩の竊に希望に堪へざる所なり箱根の離宮の如き設置以來如何なる次第にや行幸の御沙汰を聞かず又北海道の離宮も土地は既に定まりたれども未だ建築の運びに至らざるよし是等の離宮は何れも御避暑の爲めに適當の塲所なれば未だ建築せざるものは直に着手し又從來の設置にして不適當のものは速に改築するも可なり兎に角に盛暑の時節などには時々行幸あらんことこそ願はしけれ單に御避暑の一事のみならず春の花には京都の御遊び秋の月には須磨明石の御眺めなど何れも御隨意にして其後用意とても固より御手輕の事とあれば別に叡慮を煩はせらるゝに及ばず而して吾々臣民たるものは玉體に御障あらせられずして萬機の御暇に時々是等の御樂みなるを見聞し奉るときは私に其情を慰するに足るのみならず所在の人民も餘所ながら龍顔を拝してますます聖德の忝なきを感じ奉ることを得ば其喜び果して如何なる可きや我輩は全國臣民の至情を代表して偏に此事の實行を希望し奉るものなり尚ほ序ながら一言を陳ずるは外ならず皇太子殿下を始めとして皇族方の御旅行なども通常の塲合には成る可く簡易を旨とせられて且その事を屡ばして旅に慣れしめ奉るの一事なり前年我國に來遊せられたる露國皇太子の如き又今回の墺國皇姪の如き何れも大國の皇儲たる可き高貴の御身分にてありながら新聞紙の記載する所を見れば親しく些末の事までも視察し或は自身に店頭に立寄りて品物を買入らるゝなど其御擧動極めて簡易にして平生の御素養如何を知るに足るものあり我皇太子殿下にも御成長の上は何れ海外御漫遊等の事もあらせらるゝことならんなれば其養育の任に當る人々は豫じめ此邊の注意なかる可らず而して其素養を成し奉るは自から平生の御教育に在ることなれども折り折り御手輕の御旅行を試みさせらるゝことなど最も肝要なる可しと信ずるが故に我輩は序ながら一言して當局者の注意を乞はんと欲するのみ