「日本の鐡道」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「日本の鐡道」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

日本の鐡道

我國の鐡〓哩數は國の面積人口に割合はして尚ほ未だ足らずとの次第は毎度時事新報にも論〓したる所なるが今また眼を一轉して全國官私鐡〓の營業方を見るに萬般の處置如何にも緩漫不行届にして實際の不都合枚擧に遑あらざる中にも汽車の〓力の〓緩なると發車度數の少なきとは最も著しき缺典なるが如し目下全國各鐡〓に於ける汽車の平均〓力は何れも一時間二十哩以下に在り東海〓鐡〓の汽車は東京より〓戸まで三百七十六哩を走るに十九時四十三分間を要するを以て其〓〓〓力は一時間凡そ十九哩の割合なり其他の諸線路も大抵皆同樣なるか或は尚ほ之よりも低き〓力に滿足〓て更に〓歩を謀るものあるを聞かず之を彼の英米諸〓に普〓なる急行列車に比するときは〓力の懸隔雲泥も〓ならず我輩は唯我日本國の汽車が日本國の人氣と共に悠々閑々たるを驚くのみ本年七月二十二日英國倫敦にて自轉車の競走を催したるに競技者の一人〓―ランドなる者は十二時間に二百三十三哩千五百四十ヤード、二十四時間に四百二十八哩四百四十ヤードを走りて〓に世界の最良果を破りたりと云う然るに我國東海〓汽車の〓力は前にも〓たる如く一時間十九哩餘にして十二時間には二百二十九哩、二十四時間には四百五十八〓を走る勘定なれば右の自轉車と相對して〓力に優劣なきものと云う可し我輩は日本の鐡〓に向て多きを〓る者に非ざれども現に全國中最も重要なる幹線の汽車が數百〓の長短〓に自轉車と競爭して勝敗分明ならずと聞きては何は扨置き單に國の名譽の爲めにも當局者に向て大に改良を促さざるを得ず汽車の〓力の遲々たるに次で我國鐡〓の一大缺典は即ち發車の度數少なき一事なり〓に前號にも〓べたる如く乗客荷物の多き點に於て全國無比と稱せらるゝ彼の新橋横濱間の鐡〓にても發車の度數は日々儘に十七回に〓ぎず其他地方の線路などに至ては唯一筋に營業費の殺〓に汲汲として成る丈け發車の數を少なくせんとする其趣は恰も片田舎の渡船塲の船頭が船中に客を充さんが爲めに悠々〓草など吹かして容易に發船せざるものに異ならず公衆の〓惑想い見る可し

斯の如き次第なれば今日我國の鐡〓は〓に千何百哩に〓したりなど稱するも此鐡〓が英國米國等の鐡〓と同樣の實〓を奏しつゝあるものと思うは大なる間〓なり之を概算するに我汽車の〓力は〓均十八九哩なれば之を歐米鐡〓馬車の〓力に比して凡そ一倍に相當するものなり彼の汽車に至りては殆んど日本人の想像外に出で一時間に四十哩乃至五十哩の〓力を以て何時間も走り續けて止まらざる急行列車は〓して珍しからざるが故に單に〓力の一點より見るも日本の鐡〓は歐米の鐡〓と馬車鐡〓との中間に在りて寧ろ馬車の方に〓きものと云うも〓言に非ざる可し之に加えるに發車の度數非常に少なき一事を以てするときは我國に於ける千哩の鐡〓は彼の鐡〓の二三百哩にも及ばざる事實愈よ明瞭なる可し今日我國の鐡〓地圖を一見して日本の鐡〓組織も〓頃大に〓歩したりなどゝ滿足を表する人の如きは全く實際の〓況を知らざる者なり之を知らざるが故に其氣分も亦悠々閑々たり閑人は共に文明の事を語るに足らず此點に就ては我輩は世人の性急ならんことを〓るものなり