「地方の事業」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「地方の事業」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

地方の事業

青年輩は地方に歸住すべしとは曾て我輩の論じたる所にして田舎に爲すべき事業の多き其一例として特に縣治の不始末、郡政村政の不整頓なる次第を擧げたれば左らでだに平生政法以外に事なしと思へる青年輩の中には我輩の所説を偏聽して地方政治に關興するを以て田舎唯一の事業なりと盲信し縣會議員と爲り郡村の吏と爲り若しくは彼の有志者に化して徒に公共の事に奔走すれば能事終れりと心得る者もなきにあらざるべし斯くては今の都會の悪弊を新に全國に瀰漫せしむるものに異ならず在都の青年悉く皆その地方に歸りて田舎政治家と爲るべしとは我輩の嘗て勸めざる所にして縣治郡村政も素より其爲すべき事業の一には相違なしと雖も尚ほ此外に都會の地に於ては從事せんと欲して能はざる田舎特有の事業こそあれば此種の事業に向て特に青年輩の手を下さんと欲する者なり試みに看よ地方の農工商は依然舊時の頑民にして無智蒙昧文明の文に習はず學問の何物たるを知らず一本の鍬、一冊の大福帳を以て日進の業務に當らんと欲し眼前に取るべきの利、收むべきの益を控へながら進んで之を捕ふるの智勇なく遺利遺業多々これ有りと雖も捨てゝ顧みず事業に餘りありて爲すに人なく俗に所謂寶の持腐れなるもの比々皆是れなり顧みて一方の都會を觀察すれば其状況全く相反し事業は足らず人は餘りあるの姿にして各地より輻輳して多年の苦學其業を卒へ一廉の知識藝能を具へたる者にても人物の供給其度を超過し實業界に入らんとして些少の俸給も得るに易からず心身屈強の男子にして尚ほも國許の老父母より月々の送金を仰ぎ限りある田舎の家産は以て永く在都會の男子を養ふに足らずして一旦その支給の道を絶つときは忽ち衣食に窮し窮餘の方向は唯壯士と爲り無頼漢と爲るのみ其情洵に憫れむに堪へたり今若し此輩を轉じて地方無人の野に向はしめなば一擧手一投足能く凡俗固陋の舊物を追ひ退けて各種の事業に取て代り以て我實業界を一變せんこと敢て難きにあらず然るに其一生を都會の地に落魄せしめて空しく不遇に終るとは本人の爲めに遺憾のみならず天下の不幸と云ふも可なり

扨て何をか田舎特有の事業なりやと言ふに耕作漁獵養蠶製絲其他種々の工業等枚擧に遑あらざれども就中山林の如きは青年者の當さに着手す可き事業ならん日本は割合に山多くして全國唯山を以て成るものと見ても不可なく加ふるに四面海を繞らして海外交通の便利を具へ内地の地味氣候は最も樹木の發育に適し恰も天の成せる山林國又木材の輸出國にこそあれば若しも學理的培養法を施して地質を究め樹木を撰み栽培時を違はざるに於ては山林は當さに我一富源たる可し然るに此事業は古來我邦人の最も等閑に附したるものにして既に今日と雖も一身を爰に委ねて文明流に從事する者の尠なきは無論、山地の大半は荒蕪廢亂狐狸に委して顧みず未だ人跡さへ到らざる處多しと云ふ殖産社會の怠慢と云ふの外なし或は目下國内に用材の不足を告げざるに其需用の如何をも問はず漫に山林事業を盛んにするは少しく無謀の擧に似たりとの説もあらん歟なれども是れは材木の需用を單に内國に限りて更に海外に廣大無邊の市塲あるを知らざる者の談のみ即ち其市塲は支那地方にして同國平原の市邑にては内地の山より材木を伐出さんとするにも運搬不便にして到底日本の如き海國より直接に輸入するの便利なるに若かず現に近來同國の鐡道敷設に就ても枕木の供給を我國に仰ぐもの多しと云ふ僅に鐡道の用材にしても斯の如し此先き我山林事業を如何ほど盛大にしたればとて其賣口に窮するが如きことは萬々あるべからず左れば斯る有利の事業を捨てゝ顧みざるは實業家にあるまじきことゝ思へども或は樹木の生長遅々として利益も亦遅々たるが故に子孫の爲めならば兎も角も一生一代に其効を收むること能はざる事業に資本を投ずるは堪へ難しとの人情もあらんなれども山林とて強ち長年月を要するものと限らず樹木の種類に由りては二三十年にて成木する者あり假令ひ或は成木に至らざるも既に培養して山林の形を成すときは其山林に就て價を生ず可し或は老大の人は尚ほ是れにても堪へ難しと云ふか、人情の自然これを強ゆ可らず是即ち我輩が特に青年輩に望を屬して之に此事業を托する所以なり青年の老大するや甚だ早し早く爲すべき時に爲すべき事を爲さずして悔を後年に遺すは我輩の取らざる所なり喩へば人の養生は少壯の時に注意すべき事なれども肝腎の時に之を怠り老朽に至りて始めて其大切なるを知るも時既に後れたり山林の事業も亦斯くの如く青年有爲の際に之を爲さずして老後に之を思ひ起すも日暮れ道遠しの感ある可し都下に寄留する青年輩の中には富有豪族の子弟にして家に山地を所有する者もある可し又新に買收するの方便もある可ければ此種の人は速に故山に歸りて拓植に從事し之を家産として自から其利を擧ぐるか然らざれば其地價の騰貴するを視て他に轉賣するも亦收得の一法なるべし之を要するに紅塵萬丈の都會に在りて自から其品行の日に非なるを知らず徒に架空の大を望んで狂奔するよりも靜に山紫水明の間に處して各其學ぶ所の學理を應用し以て獨立自活の法を講ずるこそ居家の急務にして青年輩の本分なれ以上山林の事は唯其一例を示したる迄なれども他に實業の企つ可きものは千萬枚擧に遑あらず一日も早く都會の汚濁を遁れて地方に歸住せんこと我輩の重ねて勸告する所なり