「學正の袴は廢すべし」

last updated: 2019-11-26

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時事新報に掲載された「學正の袴は廢すべし」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

目下我國に於て小學以上の高等學校に就學する生徒の服装を觀るに洋服にあらざれば袴を

着用するを以て都鄙一般の風習なりとす洋服の事は別に考ふる所あれども是れは他日の論

として暫く擱き爰には唯袴の事に就て聊か我輩の意見を述べんに抑も袴は封建の時代に上

は大名の家老より下は小身の徒士に至るまで苟も治者の地位に在りて君に仕ふる者の服裝

にして袴と兩刀とは武士の附物なるが故に恰も今の警察官が官帽と劔とを身に着くるが如

く戸外一歩必ず此兩者を佩着せざる可らず之に反して當時被治者の地位に在りし農工商に

至りては曾て之を着用せしことなく常を離れて何か儀式の塲所に出る時は平服の上に紋付

の羽織を着する迄に止まりしが爾来封建制を革めて今の郡縣制と爲し諸侯を廢して士族の

常識を褫奪し其佩刀を禁ぜしより袴も共に棄られて跡を留めず途上偶々着袴の人あるは所

謂御役所風の官員のみ舊時學校に出入して書を讀み理を講ずるは獨り士族の子弟に限り農

工商の輩は一切高等の學に就かざるの習ひにして隨て學生の袴を着け兩刀を帶ぶるは成年

の後ち立派なる武士として世に處するの起居動作に慣れしむるの意味もあれば之を敎育の

一端と云ふも可なれども今日に至りては羽織袴は我國一種儀式的の禮服にして常人の常服

にあらざる其反對に今日の修學は常人の常事にして之を儀式とは云ふ可からず儀式の事に

非ずして儀式の服を服す、無uの沙汰に非ずして何ぞや昔孔孟心醉の世に在ては論語孟子

を講ずるに先生は常に麻上下着用のこともありしと聞けども今の學問は其書を貴ぶにあら

ずして唯書中の記事を學んで之を人事に利用するまでのことなれば版行の書籍に對して敬

禮を表するの謂れはある可らず或は學生が平服の儘にて敎塲に出入すれば脛腿を露はす等

の事ありて甚だ不體裁なりとの説あれども農工商の營業に曾て袴を着用せずして差したる

不體歳もなく醜體なりとて咎られたる者もなきが如し既に一般の人民に於て然るときは獨

り學校の生徒のみに限りて特別の體裁を裝ふの道理はなかる可し或は實際に於て脛腿を露

はす云々の懸念もあらば學生をして彼の商人と等しく前垂を着けしむるも可なり殊更に士

族風の袴を用ひて事實に無uのみならず外面の虚飾時として内部の氣位のみを高くし人事

の實に遠ざかるの弊なしと云ふ可らず今日都鄙にある私立の諸學校にて規律正しく習慣宜

しきものは學生に袴を着する者なきも敎塲内の擧動に不體裁なきは勿論校外に在りても其

品行高くして心事の活溌なる往々着袴章帽の官立學生に優る者甚だ少なからず左れば袴の

如きは之を着するも着せざるも事實に損uする所なければ殊更に之を論ずるに足らず唯從

來の習慣に一任して可なりとの説もあらんかなれども我輩の所見を以てすれば决して然ら

ず前にも述べたる如く此服は舊時に在りては士族社會の常用にして今日は官員の章標なり

何れにしても封建の遺風を受けたる士流の專有にして一般の農工商には先づ縁の遠きもの

と言はざるを得ず然るに今の學生も亦多くは士流の子弟にして曾て治者の地位を占めたる

遺傳の氣風は容易に脱すること能はず滿腹の功名心は唯政治社會に立身せんとするより外

に他事なく語を酷にして評すれば政熱地獄の餓鬼とも稱す可き者共にして識者畢生の目的

は此遺傳の氣風を撲滅して士農工商の格式を混同し和合一致以て眞の國民を作るに在るの

み此大切なる時に當り後進の學生をして強ひて治者の記章たる袴を着用せしむるときは其

氣風も亦自から服裝に準じて治者を擬し其成業出世の後も學者士流と農工商との間に何と

なく尊卑を區別するの情なきを得ず封建門閥の遺風漸く絶えんとして更に生氣を與ふるも

のと云ふ可し少年の時より常に袴を着けたるものは俄に之を脱して前垂を用ひ難く記章の

帽を戴きたるものは急に菅笠に變ずべからず少年修業の其時より豫め袴の着用を廢して他

日如何なる業務を執るも差支なく直に氣輕に着手し得らるゝの途を開かんこと我輩の切に

勸告する所なり