「・地價修正案に就て」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「・地價修正案に就て」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

・地價修正案に就て

政府はいよいよ地價修正案を提出して現在の地價金一億四千萬圓以上一億五千萬圓以下の範圍に於て低減を行ふ可しと明言せり即ち年々の歳入に於て自から三百七十何萬圓を減ぜんとするものなり政府は何の爲めに斯る愚策を行はんとするものなるや抑も修正の利害は我輩の充分に論考したる所なれども政府案の提出に於ては更に論辨して反對せざるを得ず思ふに修正論の次第に高まりたるは明治二十一年の頃にして政府が二十二年に爲したる地價金一億三千萬圓を限度としての特別修正も民閒に其論の喧しきを察して行ひたるものなる可し當時全國に於ける米價の平均を見るに二十一年は一石に付き四圓三十七錢、二十二年は同五圓五十六錢にして兩年を平均すれば凡そ一石五圓なり此相場にしても租税の負擔は舊幕府時代に比して決して重きものに非ず唯その前後に農家の難澁したるは紙幣急縮の拙策に由り一時經濟の組織を紊りて隨て發生したる奇禍のみ其事情明白なるにも拘はらず朝野の理財家と稱する輩は此邊に心付かずして農民の難澁は租税の故なりと思ひ漸く政府の心を動かすと同時に民閒の有志者は恰も國會の開設に際し民心を籠絡して選擧の投票

を得んが爲めにますます世閒を煽動して遂に地價修正等の問題を成立せしめたることなり然るに紙幣急縮の慘毒も歳月と共に漸く消散せんとする折柄、銀價下落の新事情を生じ米價は次第に騰貴して六圓と爲り七圓と爲り現に昨今は八圓臺に上りて今後著しく下落の見込はなしと云ふ全國米の收穫を四千萬石として五圓臺の時に比較すれば今日は農家に一億二千萬圓を利したる割合にして地租の大數四千萬圓なれば假りに五六年前の有樣に立戻りて考るときは一億二千萬圓の内より四千萬圓の地租を拂ふて八千萬の殘金あり即ち無税の上に八千萬圓の餘剩を空中より得たるの姿なり斯る事實を見ながら尚ほ其負擔を輕減するの必要あるや政府愚なりと雖も此簡單なる物の數を辨ずるの明はある可し或は地價の修正は地租の輕減に異なり其偏重を發するものにして負擔を減ずるに非ずと云はんかなれども全國の地價を一樣平等に平均せしむるは到底望む可きの望みに非ず今日偏重と認むるものを低減するときは明日は更に他に偏重の不平を生じて低減又低減際限はある可らず現に政府が二十二年に修正を行ひたるにも拘はらず今又第二の修正を行ふの必要あるを見るときは更に第三第四の必要に迫るは眼前のことにして遂に底止する所なきに至るを知るに足る可し然りと雖も租税の負擔に偏重あるは公平の旨に背き施政上の美事に非ずとて強いて修正を行はんとするか前にも述べたる如く今の農民は米價騰貴の爲めに一億二千萬圓を利したるものにして此上に輕減を謀るは所謂富めるに繼ぐの譏を免かれざるのみか一億二千萬圓の大利を利したる者へ僅々三百七十萬の金を進上するも之を進上し得て三十分の一にも足らず俗に云う氣休めに過ぎざれば等しく氣休めとならば何ぞ其偏輕のものを引上げて公平の方針に向はざるや斯くありてこそ當局者の本文を全ふして稍や其老勇の一班を見るに足る可きのみ要するに地價修正論の如き愚の最も愚なるものにして苟も識見あるものゝ耳を傾けざる處なるに然るに一國經理の責任ある政府の當局者が輕率にも又卑怯にも之に耳を傾くるのみならず然かも其愚論を採て其實行を期するとは驚き入りたる始末と云ふ可し修正の結果如何は既往の經驗に於て既に已に明白なるにも拘はらず更に其の過を再びして將來の弊端を開かんとするを見れば只々民論の反對に恐縮して國家百年の利害を一時の政略に殉せしむるものを認めざるを得ず政府の本領は果して何くに在るや我輩の呉々も遺憾に堪へざる所なり或は二十七年度以降幸に國庫に餘裕あるを以て之を行ふものなりと云はんか何ぞ思はざるの甚しきや今日の時勢に應じて國家事業の急なるもの一にして足らず國民一般に其着手を希望する所なるに政府は兔角躊躇して無事を謀り一錢金を愛しみながら却て國庫に餘裕ありと云ふ行政の責任を盡したるものとは云ふ可らず抑も今の當局者が只管民論を怖れて何事も爲さず手を收めて恐縮の外なしと云へば只憐れむ可きのみなれども現在の元老政府は百年の政府に非ず若しも他日眞成の政治家が局に當り大に國事を擴張せんとするの時に際して國家唯一の税源と賴む所の地租は大に減少せられて事を擧ること能はず左ればとて低減の覆水盆に歸らずして增税は容易ならずとの場合に至らば其責任は誰れに歸す可きや今の当局者にして果して辨解の辭あるや否や我輩の今より確に聞かんと欲する所のものなり然りと雖も政府は既に其案を提出したり今更ら責むるも甲斐ある可らず幸に議會の中には眞實に國家の利害を心に關する獨立不偏の士人少なからず今後の成行は其人々に望みを屬するの外なきのみ我輩は曾て今の輿論の兔角空に走り實際の利害を後にするを見て甚だ賴み少なく患ひたるものなれども今や政府の擧動も亦かくの如し言語道斷、五十歩百歩の差もあらざれば今日と爲りては寧ろ新鮮なる空氣を政府の地位に注ぎ心身氣力の旺盛なる新政府を見んことを希望するものなり