「新聞紙條例の改正」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「新聞紙條例の改正」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

新聞紙條例の改正

新聞紙條例改正の議論に就ては世閒に反對の説もなきが如し抑も今の條例は專制の時代に政府の當局者が勝手に定めたるものにして言論の不自由なからざる中にも發行停止の個條の如きは最も不都合の規定と云はざるを得ず蓋し發行停止の權を政府に收めたる所以の趣旨は若しも新聞紙の記事論説が法外に逸して過激に捗るときは其これを記したるものゝ意志精神は兔も角も世閒の人心を動かして社會の靜謐を害するの恐なきを得ず即ち當局者の所謂治安妨害にして斯る場合には停止必要なりと認めたることならん而して今日までの事實に徴するに其治安妨害なるものは專ら政治法律の事に關するもの多くして時として實際に國の安寧に差したる害もなかる可しと思ふ事にても時の政府に不都合なるが爲めにとて停止せられたるの痕跡なきに非ず酷に之を評すれば國安の爲めにあらずして政府安の爲めに法律を利用したるものと云ふも可なり然りと雖も政府の爲めに不都合なるは閒接に治安に害ありとして假りに一歩を讓り人心幼稚にして判斷の力に乏しく新聞紙上一片の説を信して風聲鶴涙に驚くの事情もあらば假令ひ政府安の爲めにても言論を制裁すること必要ならんなれども今日の社會は既に已に進歩して新聞紙の記事の爲めに人心を動かすの恐なきは我輩の敢て保證する所にして現に明白の證據ありと云ふは外ならず國會の議場に於ける議員の言論の甚だ自由なること即ち是れなり試に議會開設以來の有樣を見るに其議場に現はるゝ所の言論は自由と云はんよりは寧ろ放逸の名を下す可きものにして政府の政略を攻撃し成法を誹議し官吏を罵詈して至らざる所なし若しも新聞紙などの記事論説に斯る言論を掲ぐることもあらば忽ち發行停止の嚴命は請合なれども議會は即ち神聖の場所にして如何なる言論も自から制せざる限りは他より云云するを得ず如何なる事を言ひ如何なる事を論ずるも勝手次第なりと云ふ而して其言論は單に議場内に止まらず一々辭の儘に速記して官報に掲げ新聞紙に記して一般に傳播することなれば若しも社會の人心が過激の言論の爲めに動かさるゝものとするときは議會の言論の如き治安妨害の最も甚だしきものなれども曾て其形迹を認めざるは如何なる次第なりやと云ふに我人文の進歩は最早や空論の爲めに動かされざるの程度に達したるものに外ならず即ち今日の社會には新聞紙の如きも例の治安妨害云々の爲めに發行停止の必要なきを知るに足る可し左れば此點より見るときは新聞條例の如き大に改正して大に自由ならしむるも實際に差支なきこと勿論なれども更に眼を轉して他の一方より觀察するときは元來文明の社會に言論の自由甚だ大にして法律の制裁頗る寬なるは如何なる次第なりやと云ふに一般の智識進歩して容易に他の言論に動かさるゝの恐なきが爲めのみに非ず或は進歩の社會に於ては過激の言論の爲めに人心を動かして一般の靜謐を害せらるゝが如き患は實際に少なきことなれども人閒の名譽を重んずるの心は文明と共に進歩して自から微妙の點に達するが故に其名譽を保護するの心掛は自から亦微妙ならざるを得ず此點より見るときは名譽の保護は法律の制裁に依賴せずして銘々の自治心に訴へ自から名譽を重んずるが爲めに自から言論を謹み他の制裁を待たずして自から制裁する所なかる可らず斯くありてこそ言論の自由も實際に行はれて其無害を見ることなれども日本社會の有樣は如何と云ふに議會の體裁は別問題として姑く擱き新聞紙の記事に就ては往々人の名譽に關して目に餘るの不體裁なきに非ず他の名譽を輕んずるは自から名譽を重んぜざるの故にして自治の心に乏しきものと云はざるを得ず既に自治の心に乏しくして自から制裁すること能はざるに於ては他の制裁を要するも止を得ざる所なる可し亦是れ新聞記者の自業自得と云ふも不可なきが如し故に我輩は治安云々の點に就ては一切法律の制裁を解除して毫も差支なきを信ずるものなれども名譽保護の邊より見るときは尚ほ不安の情なきを得ず新聞紙條例改正の説ある今日に際し敢て言論に任ずる人々の注意を祈るものなり