「・山縣伯の歸京に就て」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「・山縣伯の歸京に就て」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

・山縣伯の歸京に就て

山縣伯は先頃より京坂地方漫遊中の處、其筋よりの御召に由り一昨日歸京したり伯の一去一來何も怪しむに足らずと雖も政海昨今の模樣と云ひ殊に其筋の御召と云ひ自から多少の意味なきを得ざるが如し或は目下議會の景況甚だ穩かならざるして今後の成行次第、事宜に據りては斷然の處置なきを期す可らず其邊の事情より伯の歸京を要するに至りたるものなりとの説もあれども事宜に據りて云々とは今日急發の事情に非ず其邊に就ての相談とあらば伯が漫遊出立の前に豫め打合せもある可き筈なり且議會の現状を見るに此先の成行は勿論困難に相違なけれども差當り雪白の事情あるにも非ざれば若しも議會の一方に對するの相談のみとあれば此際遽に伯の歸京を促すの必要もなきに似たり竊に我輩の想像を以てすれば其必要は對數會の爲めのみに非ず寧ろ政府の内情に關して部内の人心鎭靜の爲めなるべしと推測するものなり政府近來の擧動何となく民論を容るゝの傾きを呈したるより部内に於ける一派の人々の感情を損したるは明白の事實なるのみならず彼の官紀振肅の問題の如き議會の表面より發したるものなれども其原因は自から他に存して部内の物議は一層喧しきものあるが如し聞く所に據れば現に山縣伯の如きも京坂漫遊の前、政府の方針に就て當局者と何か議論もありたるよし或は國民協會が近來遽に氣色を換へて政府に反對の勢を現はしたるが如きも自から原因する所ありとの説さへもなきに非ず兔に角に一派の人々が當局者の擧動に對して不平なるは明白にして其不平は議會の反對と共に次第に聲を高めて政府は恰も腹背に敵を受るの姿となり形勢容易ならざる處より扨は山縣伯を呼返して部内鎭靜の衝に當らしめんとするの内情には非ざるかと聊か推量を運らすものなり伯は今の政府部内に伊藤伯と對立して自から一派の首領たる地位に立つものなれば若しも他の懇談に應じて自から其衝に當るに於ては一方の不平を鎭壓すること難きに非ず伯にして從來の行掛を忘れ一臂の力を假すに至れば當局者は茲に内顧の患を免れて恰も百萬の援兵を得たるの思ひを爲すことならん此際伯の覺悟は果して如何なるべきや回顧するに三四年前山縣伯が當局の時に當り今の伊藤伯は所謂黑幕の地位に安んじ表面には全く關係なきが如くにして内實は竊に相輔るの約束もありしやなれども國會難局の場合などに際しては故らに遠ざかりて却て傍觀の地位に立ち其際に何とも名状し難き程の苦味は時の當局者の飽くまでも喫したる所なる可し今の山縣伯は恰も當時の伊藤伯の地位に立つものにして目下の關係も甚だ相似たる所あれば若しも前者の例に倣ふて今更らの御相談は御免を蒙るとあれば夫れまでのことなれども伯は忠實一偏の人なり他の當局者より折入ての懇談とあれば是迄の行掛は兔も角も一片の義侠心自から禁ずる能はず或は一方の任を引受くるに至ることならん畢竟當局者が此場合に當り遽に伯の歸京を促したるも平生の義侠心を疑はずして事の成る可きを豫算したるが爲めなる可し若しも伯にして〓の懇談を承知せんか其一諾は山の如し現政府は茲に〓〓〓の難を免れて一先づ蘇生の思を爲すことならん事の成否果して如何、當局者の心算誤らずして部内の模樣一變するに至らば其消息は何れ國民協會などの擧動に現はるゝことならん我輩は世人と共に注目を怠らざる可し