「 當座と定期 」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「 當座と定期 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

 當座と定期 

昨今金融の潮勢漸く改まらんとして利子に多少の動きを見るに至り前途、繁か緩か此

處銀行者の注意す可きもの尠なからざれども成行論は姑く擱き茲に預金利子の歩合に就て一言せんに元來銀行の事務は極めて多端なりと雖も之を簡單に云へば金を貸附くると、預るとの二つにして預金には當座と定期と二樣の別ある中に當座は時限を定めず何時にても預人の隨意に引出し得べく定期は其期限に達せざれば引出す可らざるの相違ありて當座は預人に便利なれども銀行に取ては面倒多き割合に利益あるものに非ず隨て之れに對する利子も二樣の間に差違あるは自然の結果にして外國銀行などにては當座に利子を附するもの殆んど皆無なりと云ふ然るに我國諸銀行の實際は事全く反對にして一般に當座を重んじて定期を輕んじ當座の利子を厚くして怪しまざるもの多きが如し素より諸銀行の利率は悉く同樣ならずして一概に云ひ難き所あれども大抵は定期と當座との間、僅かに一二歩の開きにして定期に年五分の利を附すれば當座に三歩より四歩の利を拂ひ甚だしきは特別預金など稱して殆んど定期と同樣の高利を仕拂ふものさえあり兩者の權衡甚だ不釣合なるのみならず定期には期限前に引出すものに對して一錢の利子をも拂はざるが如き苛酷の定めもあり左れば割に合はざる定期預を爲さんより便利なる當座に向ふは人情の自然にして近年當座預金の増加したること各銀行の平均を見て知る可し依頼者に取りては至極結構なれども銀行は斯る營業法を行ふて算當に合ふ可きや其不得策は云ふ迄もなく之に伴ふて起るべき危險をも深く想像するときは轉た掛念に堪へざるものあり已に前にも陳べたる如く當座預金なるものは預人に取りてこそ便利なれども銀行は何時にても引出に應ずる準備を爲さゞる可らざるが故に常に幾分の遊金を寐せ置くの必要ありて金融上に不利のみならず一朝市塲に變動を起すこともあらんか先づ取附けの衝に當るものは當座にして假かの引出しに遇ふて狼狽する例、尠なからず幸にして近年の如き無事の商况なればこそ先づ以て心配もなきことなれども商機一轉せば亦如何なる不測の變あらんも知るべからず凡そ商界の變は往々突然に來るもの多くして一旦急劇の取付けに應じ切れず不幸にして仕拂停止の厄に遇ふこともあらんか啻に一銀行の不幸に止まらず延て金融市塲を亂り思ひ掛けなき恐慌を見ることもあるべし誠に危險なりと云はざるを得ず若しも銀行者にして少しく此邊に注意し目下の方針を一轉して定期預に重きを置かんには自家の利益多きと共に危險の度も尠なかるべきに此見易き理合を見ずして等しく危險なる當座の奬勵に走るものは畢竟其店頭を賑にせんとて競爭の結果識らず知らず茲に至りたるものならんなれども本來損得に鋭敏なる銀行者の事なれば静に自他の利害を研究するときは忽ち其非を悟ることなるべし我輩は銀行者が徒らに小計策に汲々たらずして專ら安全を主とし定期と當座との間に利子の厚薄を著しくして萬一の危險を避くるの工風こそ肝要ならんと信ずるものなり今定期預金に就き或人が試みに一案を立てたるものを見るに

 當座に對する利子は充分に低減し定期は及ぶ丈け歩合を高むると同時に定期預人の  便利を謀る爲め例へば一ケ年の定期預ならんには十一ケ月目に一ケ年分の利子を拂

 渡し其時に十二ケ月の期限に至らば愈よ預金を引出すか又は引續き預け入るゝかを

確め續て預け入るゝものには其塲にて直ちに契約を取結ぶべし斯の如くすれば銀行は一ケ月分の利子を損する勘定なれども其代には引出すものと繼續するものとは一ケ月前に判然して引出さるゝ分に對し豫め準備を爲す外は預金と雖も其實は自家私有の資金に等しく自由に運轉して少しも準備を置くの必要を見ず利子一ケ月分の損失の如きは償ふて充分の餘りあるべく預人も一ケ月前に一年分の利子を收め得て異存あるべき筈なく一擧兩得の策なるべし云々

右の方法に從へば取扱方甚だ手輕にして双方共に利ありて害なく一案として味ふの價あるが如し素より立案者も我輩と共に其道の素人にして當局者は又夫れ夫れの考案もあるべしと雖も兎に角に今日の預金利子は其權衡を失すること甚だしく何分にも危險なれば何とか矯正する所なかるべからず爰に一案を添へて當局者の熟考を促がすものなり