「銀價の下落に就て」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「銀價の下落に就て」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

昨年六月印度政府が幣制を改革して銀の鑄造を廢止するや世界の金銀市塲に大波瀾を惹起して爲替相塲は遂に六十弗以下に暴落したり實に經濟市塲稀有の劇變にして當時世人は此有樣を觀て銀の下落も爰に至て其極度に達したりと心窃に期したる者も少なからざりし處、爾來銀勢は更に回復の色を示さざるのみならず次第に益す降落して止まる所を知らず殊に數日前よりは一層下落の歩を進めて遂に昨今に至りては五十弗少餘にまでに陷りたり抑も今を去ること二十年前まで世界を通じて金銀の相塲は凡そ十六と一との割合に定まりて動くことなく現に我國の一圓銀貨の如きも純銀三百七十八ゲレインを含蓄し是れを一圓金貨に比すれば正に一と十六、三との割合を保つものにして即ち當時世界の相塲に據るときは金貨一圓も銀貨一圓も聊か價格に等差なかりしことなるに何ぞ圖らん僅僅二十年の其間に銀の相塲は下落して凡そ金の三十二分の一と爲り銀圓二枚を以て金圓一枚と換へて殆んど餘剩なきに至れり誠に全世界の耳目を驚かすの大變にして商工業社會一般に其影響を蒙りて動搖するも亦宜なりと云ふ可し扨て今後銀貨は尚ほ何れの邊にまでに下落す可きや固より豫言し得べき限に非ざれども我輩の所見を以てすれば今日の此大下落は寧ろ世界各國をして大に金單本位の弊を悟らしめ以て自然に彼の萬國兩貨制の實行を速ならしむるの媒介たる可しと信ずる者なり盖し今日の變動をば單に銀の下落なりと稱するは誤にして其實は銀の下落と金の騰貴と相合したるものに外ならず其證據には凡て歐米の金貨國にては二十年前銀の始めて下落を表はしたる頃より普通諸物品の價次第に下落し殊に最近三四年間に至て最も甚だしき下落を表はし商賣社會は是れが爲めに非常の困難を感じ會社商店等の破産するもの續續絶えず農民も勞働者も皆生活に苦みつつあるは事實に爭ふ可らず而して物價下落の理由に就ては學者理財家の〓〓紛紛一致せざれども金貨騰貴の一事を以て其重なる原因とするに至りては殆んど疑なきものの如し即ち價の表〓たる金の相塲が騰貴したるが爲めに諸物品一般に銀と共に下落の姿を現はしたるものにして唯銀は種種の人爲に制せられて其下落の度を一層劇しくしたるのみ通貨騰貴して物價下落すれば之に由て利する者は金を所有して他に貸付る所謂貸方の人にして之に由て損する者は其金を借りて業を營む所謂借方の人なり左れば此借方の地位に在る者及び目下米國にて最も有力なる彼の銀人(即ち銀鑛業に直接間接の利害を持つ人)の類は固より熱心に金銀兩本位を希望する者にして此頃の如き銀の暴落を見ては决して默止することなく必死の力を盡して銀勢の挽回を謀るに相違ある可らず加之金單本位の根據なりと稱せらるる英國に於ても近頃は兩貨制の論勢頗る盛にして保守黨の政治家バルフオル氏を始としてゴツシエン氏及びソールスベリイ侯すらも過般來漸く兩貨制論に左袒して現政府に反對するの模樣ありと云へば或は遠からずして再び萬國貨幣會議を催ほし其結果として遂に兩貨制を歐米諸國の間に採用するに至ることなしとす可らず我輩は今後特に銀問題の成行に注意して事■(てへん+「丙」)の細大に論なく苟も我實業社會の參考となる可きものは之を報道するに怠らざる可し