「金單本位維持の困難」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「金單本位維持の困難」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

金單本位維持の困難

金單本位維持の困難

近來世界の國々が相競ふて金本位を採用し金塊の需要著しく增加したるに就ては目下全世界に存在する金の量が果して此需要に應ずるに足るや否やは最も重大なる問題なり何となれば若しも金の量にして不足なること明なる以上は假令ひ金本位に如何なる利益ありと稱するも之を實際に行ふて其利益を収るの路なければなり金論者は常に銀行業及び信用手形の仕組發達するに從て正金の需要大に減ず可しと云へり誠に尤千萬なる説なり今日にても倫敦の手形交換所に於て一年中に仕拂ふ金額は英國中に流通する金銀貨を盡く合せたる高の數倍に上るのみならず取引の頻繁なる際には僅か一日の間に國中の通貨の總高に等しき巨額を仕拂ひたるの例さへあり然りと雖も茲に記臆す可き一事は假令へ銀行及び信用手形の仕組が如何に發達するとも人間世界に全く通貨の入用を見ざるに至るは到底望む可らざることにして今試に經濟上の取引にて現金仕拂の廢る可らざる二三の塲合を擧げんに第一勞役者の賃錢は大概悉く現金にて仕拂はざる可らざる性質のものなりレオン、リーヴィ氏の計算に據れば大英國中勞役者の賃錢の總計は千八百六十七年には四一九、〇〇〇、〇〇〇磅にして八十四年には五二一、〇〇〇、〇〇〇磅に上りたりと云ふ其後同樣の割合を以て增加したるものとすれば本年の賃錢總計は五七五、〇〇〇、〇〇〇磅の筈なり英國の習慣に依り賃錢は大概毎週拂の定にして一度び勞役者の手に錢を受取るときは其錢は平均少なくとも三十日間は再び銀行に歸來ることなきものと認めて大過なかる可し左れば五億七千五百萬磅の十二分の一即ち四千八百萬磅の通貨は單に勞役者の賃錢仕拂の爲めに絶えず大英國内に流通しつゝある勘定なり右の如き次第なれば流通貨幣が缺乏の境に瀕したるは勞役社會の爲めに取りて決して望ましきことに非ず是れが爲めに賃錢低落の勢を生ずるは自然の順序にして毫も疑を容る可らざるなり勞役者の賃錢の外に鐵道、汽船、馬車等の乗賃は凡て現金を以て拂ふ可きものにして其總額は賃錢と同じく年々大に增加しつゝあり又一切の小賣商賣、家賃、地代、租税、〓税、觀劇、其他諸般の遊山見物等は何れも大概皆現金の仕拂を要するものなり又此外に人民が各自懐中に携へ及び家に貯ふる金高は必ず小額に非ざる可し斯の如き次第にして大英國人民の日々使用する現金の總高は流通貨幣の大部分を占ること明なる其上に又諸銀行にて營業の準備金として備へ置く金高も亦甚だ多し但し爰に云ふ準備金とは紙幣證券等に對する準備金には非ずして専ら銀行の業務を維持して其信用を保つが爲めに備へ置く正金を指して稱するものと知る可し銀行の信用を保全するに必要なる準備金の高は時と塲合とに依て大に異なりと雖も兎に角に其業務の擴張するに從て次第に之を增加せざるべからざるの事實は疑ふ可らず且つ又廿年以前には何時にても金塊の入用なるときは之を得ること容易なりしかども今日は世界各國が爭ふて金の貯蓄に餘念なきを以て何處に於ても金塊を得ること頗る六箇しく一朝銀行が準備金を增さんとするも容易に其目的を達す可らざるが故に平生より心掛けて實際必要の額よりも餘計の準備金を積置かざる可らず

印度貨幣調査委員の報告に據れば英佛兩國に流通する金銀貨の現在總額は左の如し

    英    國       佛    國

金   九一、〇〇〇、〇〇〇磅  一七一、〇〇〇、〇〇〇磅

銀   二二、〇〇〇、〇〇〇磅  一四〇、〇〇〇、〇〇〇磅

合計 一一三、〇〇〇、〇〇〇磅  三一一、〇〇〇、〇〇〇磅

佛國の方英國よりも多きこと一九八、〇〇〇、〇〇〇磅

今英國の輸出入總額は佛國の二倍よりも尚ほ多く其船舶噸數は佛に數倍し人口は凡そ同數にして國の富は英國の方遙に優れり然るに右の表を見るときは佛蘭西の通貨は英國よりも多きこと一億九千八百萬磅にして其利子を年二分五厘の割合にて計算すれば四百九十五萬磅と爲る可し元來國の貧富及び商賣取引の大小等より論ずれば佛は英よりも遙に少量の通貨を以て滿足す可き筈なるに實際然らざるは畢竟英の銀行組織が佛に比して大に完備せるが爲めなりと云ひ去れば其れまでなれども然れども佛國人民が年々五百萬磅に近き餘計の入費を掛けて現在の流通貨を維持するは一方に於て是れが爲めに大に商賣取引の安全確實を致すの利益あるを信ずるが故に外ならずと我輩の斷言する所なり

以上述べたるが如く金塊の需要は今後益す增加するの傾向ある其一方に於て世界の金の産出額は如何と云ふに決して多きに過るの恐なきのみか年々美術に用ふる分と又貨幣の摩滅を償ふ爲めに要する分とを除けば〓は僅に四五百萬磅に過ぎざる可し左れば今英國の爲に謀るに金の産出は斯の如く少なきにも拘はらず國の商賣は益す盛にして正金を要すること益す多き其上に世界の國々は爭ふて金の収蓄に汲々たれば旁以て英國政府が今後長く金の單本位を維持し得べきや否やに就ては聊か疑なき〓はず又茲に忘る可らざるは今日世界各國が競ふて金貨國たらんことを務るは結局英國が金本位を固守して動かざるが爲めのみ若しも英國にして兩本位採用の事を承知する以上は世界中復た他に萬國兩貨制に對して故障を唱ふるの國なきは殆んど疑を容れざる所なり云々