「企業は亞弗利加洲に在り」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「企業は亞弗利加洲に在り」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

企業は亞弗利加洲に在り

今を距る僅か二十年前に出板したる世界の地圖を繙きて亞弗利加大洲の部を見れば埃及、墨羅哥、亞比西尼又は喜望峰殖民地の如き僅に海岸所々に散在する山川地名を記すのみにて其他は渺茫たる一面の大沙漠のみ埃及に著名なるナイル河あれども其源を記さず其水源に大湖あれども之を載せず内地は山もなく水もなく到底人間の居住すべき所にあらず恰も化翁の戯に造りたる世界中の一大空所、無用の長物にして固より其面積の廣狭の如き人類の得て窺ふべき所にあらずと信じて之を顧る者もなし年來西洋人の東洋に往來する者少なからず其往來する者は必ず亞弗利加の海岸に沿ふて航路を取りしと雖ども唯其南端に喜望峰、北端に亞歴山と唱ふる港あるを知るのみにて他に船舶を寄す可き良港あるを知らず隨て何人も自から勇を鼓して内地を探檢せんとする者もなく開闢以來二十年前迄は造化の創始せし其儘に成り居たりしに彼のリーピングストン、スペーキ、スタンレー、ベーカルの如き諸名士が相尋で探檢に從事し或はナイル河を溯て水源を究め或はコンゴーに傍てニアンザーの大湖を發見し高山峻嶺深林幽谷を見出し赤道直下常に雪を戴くの山あり今日に至る迄全く人類の棲息す可らざる不毛の沙漠と思ひし者も却て沃野千里青草滿目春暖秋冷其地味氣候は歐洲諸國に優るあるも劣るなきを發見してより爾來頓に世人の注意を喚發し歐洲諸國互に先を爭て殖民移住の業に着手するに至れり或は特に土人の酋長と條約を結で土地を讓り受け或は兵力を以て之を征服し各境界を接して各版圖を定め其版圖の大なる者に至ては之を其本國に比して幾十倍の廣を領する者あり今日出板の地圖を以て之を前年の者に比すれば全く別天地にして恰も新に一新世界を此地球上に增加したるの感あるべし而して最初歐人が之を開くに當り必ずしも政府の力に依頼したるにもあらず又始めより兵力を用ひたるにもあらず或は豪氣勇敢の士人が一隊の人を引率して内地に蹈み込み或は有志者の結社を以て資金を用意し義兵を派遣する等の手段に依り櫛風沐雨蠻族に犯され猛獣に害せられ百難を排し萬苦に堪へ一歩一歩蠶食して漸く今日に至りしものにして眞に男兒の所業と云ふべし近年我國に於ても殖民移住の沙汰漸く世間に喧しく或は布哇の移住墨國の殖民等現に今實施する者もあり又は將さに着手せんとする者もありて後來の望決して空しからず我輩の敢て異存なき所なれ共布哇なり墨國なり又ニウカレドニアなり既に已に他國他人の版圖に屬する者にて主客の位置已に定まり何程我移住民を奨勵勧誘するも到底これに依て我版圖と皇張するの望はあるべからず其實は所謂出稼なる者にして未來永遠今の支那人同樣、單に他國に雇はれ他人に使役さるゝのみにて決して自から國を開て自から主人となるの期あるべからず去れば結局我國の爲め我人民の爲めに謀れば是非とも海外に廣大なる版圖を開き年々歳々内に增加するの人口を他に移して以て其充積を散ずるより外の手段なかるべし人口増加の一事は全く未來の豫想に屬して目下の急と云ふにもあらざるが故に通俗の人情或は之に耳を傾くる者少なきやも知るべからずと雖も別に此に海外版圖を要する所以の理由あり即ち一は我國威を輝かす事、一は我兵氣を振起する事是なり抑も我開國以來此に三十年、此の三十年間の進歩は實に非常にして郵便電信鐵道は申すに及ばず通商工業航海の諸件に至るまで唯目を驚かす計りの次第にして彼の西洋人が數百年の間に孜々辛ふじて達したる其距離を我日本の人は僅に二十年前後の短日月を以て進歩し一瞬千里その活溌豪膽なるは迚も西洋人抔の企て及ぶ所にあらず前途の望決して空しからずと雖も其進歩と云ひ文明と云ふも全く一國内の事にして未だ外に對して國光を輝かすの塲合に至らず我國に渡來して實際の有樣を目撃する者か又は常に日本に注意する學者政治家其他商工業に從事する者の如きは我國情を見聞して日本決して慢るべからずとの感覺を生ずべけれども此類の人は唯千萬中の一二にして素より數ふるに足らず茫々たる宇宙人無數、世界中何れの邊に日本あるやをも知らざる者比々皆是なり其然る所以は何ぞや我國の實力足らざるが爲めにあらず唯その實力の未だ外部に現はれざるが爲めなれば苟も我力の届く限りは四方八方に手を延し以て日本國小なりと雖も到底蠢爾として彈丸黒子の一島嶼に安んずる者にあらずとの事實を世人に知らしめざるべからず而して是を知らしむるの法は海外に版圖を有するに如くものなかるべし又彼の明治十年西南の役後今日に至るまで十有七年此間曾て我陸軍の寸鐵を用ひたることなし今日の如き泰平の打續く限りは何時の世如何なる時代に陸軍を實際に用ゆるの期あるべきや到底望なきことならん去れば其將帥の掛引に巧なる其兵卒の戰闘に勇なる決して他に耻づべき所なしと雖ども泰平無事の日久しきに亘り曾て彈丸矢石の現塲に出合はざれば假令ひ平常の練習は怠らざるも到底物の實用は爲す可らず外邦は攻むべからず内亂は望むべからず此有樣にて永遠持續せば我兵氣の年一年に衰弱するは甚だ明白なる次第なり然るに今若し海外に版圖を所領し其領内に野蠻勇敢の土人ありて動もすれば我移住民を虐遇することあらば我亦止を得ず兵力を用ひて之を征服せざるを得ず假令ひ其敵は無謀の蠻民なるも我兵氣振興の効に至ては相手なき演習に優ること萬萬なるべし去れば我國の名の爲め又利益の爲めに謀り海外版圖の必要は多言を費さずして了解に易かる可し而して今日其版圖を何れに求めて果して之を得べきやと云ふに世界廣しと雖ども唯獨り前に述べたる一の亞弗利加洲あるのみ或は今日となりては英佛日伊の如き各有望の土地を分割して自家の版圖を定め最早他人の踏み込むべき餘地なきに似たれども其餘地なき所は僅かに海濱湖畔河岸に傍ふたる所のみに止まり彼のナイルの水源スーダン地方に至れば所在唯蠻民の散布するを見るのみにて未だ何れの版圖にも屬せざるもの甚だ多く恰も人の來るを待て天然無盡の藏富を開かんとする者に似たり現に今歐洲の諸大國は各其政府の力を用ひ又は私立結社の法に依り先を爭ふて之れが開拓に從事せざるはなき其状は日々外國より達する所の電報に就て見るも尚ほ推測するに足るべし我國未だ富強ならずと雖も此天下萬國の競爭を袖手傍觀して黙々に付し去り徒に他の富強を視て羨むべきにあらず僅に一隊の人を引率して彼岸に渡り勇を鼓し氣を奮ひ直に内地に浸入して地形を撰み氣候の適する所を相して此に其本據を構へ所在散布の蠻民を威服訓諭して之を我が隷屬となし時宜に依ては我陸軍の一隊をも派遣して其殖民を保護し恩威以て漸次に所領を擴めたらば四國九州は愚か我日本全國に幾倍するの邦土を占め旭日の旗章を亞弗利加の中央に飜へすこと又決して難からざるべし眞に勇士の事業にして日本男兒の名に對しても躊躇す可き塲合にあらざる可し我輩は早晩此大業を企る者あるを信じて竊に望みを屬する者なり