「教育制度の改正」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「教育制度の改正」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

近來地方より都下に遊學する學生の■(にすい+「咸」)少したるは單に私立學校のみならず官立學校に於ても一般に見る處の事實なりと云ふ學生の増■(にすい+「咸」)怪しむに足らざるが如くなれども仔細に觀察すれば教育に對する一般の思想漸く變遷を催ほすに至りたる徴候として認むべきが如し抑も今の教育制度は西洋諸國に行はるる高尚の組織を直に採用したるものにして我國情に適せざるは明白なれども彼の士族と名くる一流は年來學問の素に乏しからず一般の人民に比すれば全く智識の度を異にするが故に高尚の新教育に遇ふて辟易せざるのみか此教育に養成せられて立身の資を成し何れも相應の地位を得て報酬さへ薄からず昨日の寒貧書生、今日の官吏紳士意氣揚揚たる者も多ければ俗界の俗情自から羨望に堪へず苟も立脚の地歩を作りて名を成し功を立んとするには是非とも高尚の教育を受けざる可らずとて滔滔風を爲し富豪大家は申すに及ばず中産以下の者にても傳來の資産を賣却し又は借財する等無理算段しても子弟の教育に錢を愛しまざりしは從來一般の有樣にして自から府下に於ける官私立學校の旺盛を致したる次第なれども扨て實際の事情を顧みれば官途などの地位は限りなき人を容る可きに非ず數に於て明なるのみならず或は近年來實業社會は著しく發達して智識學問を要するの範圍を廣めたりとは雖も如何せん其教育は事業の實際と相恊はざるが故に實業の門廣きも入門の路甚だ難く結局多年辛苦の結果たる學問智識は實際の塲合に臨んで輙く實用を爲さず新進の青年空しく大志を抱て無聊に呻吟するもの多き始末なるよりして教育に對する一般の熱度漸く冷却して地方の父兄たるものも子弟を教育するに多少躊躇の念を起し扨こそ學生■(にすい+「咸」)少の結果を見るに至りしものならん盖し士族流の眼より見れば現今の教育制度は左まで高尚のものにあらずと雖も廣く一般の民度に徴するときは學科の繁雜高尚に過ぐるの嫌あるは實際に掩ふべからず即ち前にも述べたる如く今の教育制度は西洋流を其まま模傚したるものにして既に國情との釣合を失するの事實明白なる上は宜しく其組織を一變して程度を低くし單に高尚なる學者を造ることを勉めず廣く有用の人物を養成するの目的を以て平易着實を旨とすること肝要なる可し若しも然らずして今日の有樣に安んずるが如きあらんには學問はますます實際に遠かりて徒に無用の長物を造るの媒介と爲り遂に天下父母の心をして子を學校に傷ふを恐れしむるに至る可し知れ切つたることなれども當局者は尚ほ其邊に思至らざるか苟も改正とあれば制度の取調に着手し或は委員會の調査を設るなど頻りに凖備を乙甲にして實際の成績を擧るに迂なるは毎度實驗する處なり畢竟其源因は標凖を誤るに外ならざれば當局者にして自から悟らず他年來の舊思想を以て教育に對する間は幾たび改正を試るも唯徒に不具の制度を粉飾する迄のことにして到底改良の効果を收むべからず要するに實際の事情を酌み標凖を一般の智識と民度に取りて事の根底より一新するの外なしと我輩の斷じて明言する所なり