「密獵の取締」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「密獵の取締」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

密獵の取締

北海道千嶋近海に於ける臘虎密獵の事は近來我國人の注意する所と爲りて其取締の法に就て云云するものあれども政府に於ては其獵期の間、僅に一雙の小軍艦を派遣し恰も申譯的の取締を爲すに過ぎず我輩の遺憾に堪へざる所なり抑も外國の密獵船が北海道は申す迄もなく或は奧州金華山の近海にも出沒して恰も日本の漁塲を占領し年年非常の利益を收むるは隱れもなき事實にして我國の不利この上もある可らず彼の臘虎の漁塲は白令海の邊より我北海道の近海に連る一帶の海岸海面にして世界の漁獵者は悉く此方面に集まることなれども英國と云ひ米國と云ひ露國と云ひ何れも其近邊に土地を有して領海の近邊に他の漁獵を禁し其取締甚だ嚴重にして時としては之が爲めに國際上の交渉談判を生ずる程の次第なるが故に密獵を事とするものは次第に放逐せられて北海道の近海に集まり今は殆んど日本の領海を以て世界唯一の密獵塲否な公獵塲と爲すものの如し近着の倫敦タイムスに記載したる左の一項の如き其情况を見るに足る可し

 英領コロンビヤなるヴヰクトリヤ府駐在の米國領事が昨千八百九十三年の臘虎獵に關する報告中に云へるあり曰く英領コロンビヤより臘虎〓地に赴きたる獵船は五十六隻、獵獲の皮數はピウゼツトサオンウンドより出でたる獵船の分をも合せて七萬六千八百七十五枚にして從來になき多額なり而して尚ほ此外に桑港及びプリピーロツプ嶋より出でたる獵船并に露國臘虎商會の手より桑港に荷揚したるもの四萬三千三百六十六枚あり本年に在りては加那陀の獵船は多く日本の近海へ向け出帆したるが茲に一の掛念は日本政府が外國の漁獵者に對する擧動の如何に在り是等の漁獵者は日本を最後の漁塲と頼むものにして若しも此漁塲より放逐さるるときは英米兩國の窮屈なる取締法に牽束せられて漁獲の方法も更に一層の練習を要するのみならず移轉極りなき獲物の所在を探索する爲めに殆んど免許の獵期を費すが如き困難を感ぜざるを得ざるに至る可しとは彼等の口にする所なり昨年臘虎獵に從事したる加那陀船の噸數は總計三千七百四十四噸にして乗組員は白人八百六名、土人四百三十二名、一隻の獵獲高最も多きものは二千七百七十二枚なり云云

此報告の文に據るも彼の密獵者が日本を以て唯一の漁塲と爲し其取締の行届かざるに乗じて大に利するの情を見る可し或は他の密獵を防ぐには我遠洋漁業を奬勵して彼と競爭せしめ自然に之を放逐すること肝要なり取締の法を設けて勵行するときは動もすれば他國と交渉の事端を開き易く時としては國際の談判も免る可らず唯事を滋くするのみにして實際に利する所は少なかる可しとの説もなきに非ず我漁業を奬勵して領海の漁利を收むるは素より必要の手段にして假令ひ取締の法を嚴重にして他の密獵を禁制するも日本の漁業にして盛ならざるときは毫も利する所はある可らず遠洋漁業の奬勵法决して怠る可らずと雖も然りと雖も一方に於て密獵の取締は一日も等閑に付するを得ず彼の臘虎とても决して無盡藏の動物に非ず殊に時期にも頓着せずして恰も其發育期に漁獲さるるときは次第に■(にすい+「咸」)少して遂には其跡を絶つにも至る可し我國の爲めには永遠の利源を奪はるるものにして假令ひ一方に漁業を奬勵して數年の後には彼と競爭するの望みありとするも我漁塲は既に彼等の爲めに散散に荒らされて收穫を■(にすい+「咸」)ずるの掛念あるのみならず若しも今日の儘に放任して毫も制限を加へざるに於ては數年間の習慣、自から既得權を彼等に與へたる如き姿を成して之を回復すること容易ならざるに至る可し取締の法、一日も等閑に付す可らざる所以なり斯くて其法を設けて之を勵行せんとするには今日の如く一隻の小軍艦にて足る可きに非ず漁獵の時期には少なくも三四隻の軍艦を出して嚴重に警邏せしむること肝要なる可し彼の密獵船の乗組員の如きは多くは世界の無頼漢にして法を怖れざる者共なれば若しも取締の法を犯して我領海の區域内に闖入するときは一歩も假さずして其船を拘留し時宜に據りては之を砲撃するも可なり或は時としては之が爲めに交渉事件を生じて國際の談判と爲り又は他國の仲裁裁判を仰ぐ等の事も出來することならん其曲直は假令ひ何れに决するも是種の出來事は寧ろ密獵者をして我威力に恐縮せしむるの結果ある可し唯進んで斷行するを以て利益と爲す可きのみ今日に當り嚴法を設けて國利を永遠に保護するは政府の職分として我輩の敢て催促する所なり