「韓廷の策略に誤らるること勿れ」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「韓廷の策略に誤らるること勿れ」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

韓廷の策略に誤らるること勿れ

朝鮮政府は過般來深く内地騷亂の模樣を秘して人に知らしめざることを勉る其一方に於ては頻りに官軍の勝利を吹聽して賊徒の恐るるに足らざるを説き既に數日前には京城駐在の各國公使に向て官軍は東學黨と大戰して其巨魁を斬り騷亂全く鎭定したりとの趣を通知したりと云ふ然るに我輩の推察を以てすれば是れぞ正しく彼の政府が故さらに無事平穩を裝ふて以て日本兵の入來を體よく謝絶せんとするの策略にして容易に信を置く可らざるものなりと判斷せざるを得ず抑も東學黨は烏合の群にして到底よく大事を成遂げ得る者に非ずとて一概に之を輕蔑する者あれども兎に角に其目的とする所は專横なる地方官を殺戮して平素の鬱憤を晴さんとするに在ることなれば兼て酷吏の虐政に苦しめられて不平に堪へざる農民輩は到る處に之を歡迎して勢力日に増進の樣子なれば内實は决して侮る可らざるものあり而して東徒鎭定の爲めに派遣せらるる官軍の事情如何と云ふに其兵卒は國庫の空しきが爲に給祿さへ不渡りにして殆んど生活に差支へる程の仕儀なれば政府に對して多少の怨こそあれ恩に浴する者とては一人もなく身命を抛て國家の爲めに盡すなどの談は夢にも思はざる所にして偶ま賊徒征伐の命を受けたるを幸に人民の私財を略奪して自から利せんことを謀るのみ甚だしきは利を見て賊軍に投する者さへ多しと云ふ事態斯の如くなれば今日朝鮮政府の自力を以て一二箇月間に國亂を鎭定するが如きは到底望む可らざる所にして彼の巨魁伏誅の報告も都て信を置くに足らず斯る淺墓なる計略を以て諸外國人を瞞着して我日本兵の撤回を懇請することあるも誰れか之に應する者あらんや彼の國の内亂は之を喩へば骨にからみたる慢性病の如し假令ひ實際に一時の輕快を告るも再發計る可らず苟も再發の患なきを證するまでは居留人民の看護たる我兵隊は决して其地を去る可らざるなり或は獨立國の版圖に軍隊を駐在せしむるは國際法に照して如何あらんなど疑を抱く者もあらんかなれども朝鮮政府は其國内の騷亂に對して自から自身を保護するさへ困難なる弱政府たることを天下に表白したるものなれば日本國人は止むを得ず自力を以て自から衛るの急に迫られたる者なり况んや又我出兵の權理は明治十五年濟物浦に於て取結びたる日韓條約の許す所にして爭ふ可らざるに於てをや旁旁以て此度び仁川に向て派出したる我國の軍隊は假令ひ如何なる邊より何樣の故障を申入るるとも當分の間は斷じて撤回するが如きことある可らず此事に就ては當局者も必ず同樣の意見ならんなれども念の爲め我輩は爰に一言を記して讀者と共に之を記臆に存する者なり