「故岩倉公の紀念に就て」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「故岩倉公の紀念に就て」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

故岩倉公の紀念に就て

聞く所に據れば十五國立銀行より十五萬圓、日本鐵道會社より十萬圓都合二十五萬圓を據出して故岩倉公の恩に報ゆる爲め祠堂を經營して永世の紀年に存するの念あるよし右の銀行會社の設立に就ては公の盡力一方ならず辛苦經營の勞空しからずして今日の隆盛を致したることなれば當業の人々が其始に反り基本に報ずるの義を忘れずして舊恩に酬ゆる所あらんとするは實に人生の美事にして一點の非難もある可らず我輩の贊成する所なれども既に世を去りたる故人の爲めにせんとするには其人の生前に如何なる事を最も希望したるやと其志の所在を尋ねて之を全ふせしむるの工風に及ぶこそ適當の法なる可し今二十五萬圓の金を費して公の爲めに祠堂を經營す可しと云ふ、公にして知るあらば諸氏の厚意に感じて其忝なきを謝することなる可し決して仇には思はざることならんなれども若しも眞實死者の平生に徴して果して其志に副ふる所あらんとならば祠堂の經營を外にして他に適當の方法はなきやと種々に其方法を案じて我輩の思付きを述ぶれば自から工風なきに非ざるが如し先づ第一は公の遺族に年金を贈り永く子孫に繼續せしむるの法にして是れは西洋諸國などには毎度の事にして其例に乏しからず既に先頃も蘇士運河の開鑿に就て大功ある佛人レセツプ氏に對し運河會社の株主より少なからざる年金を贈ることに決したるよし當人に酬ゆるも子孫に贈るも其志を致すの道は同一にして適當の案なれども今の日本人の氣風に於て私に金錢の授受は餘り好まざる所にして或は公の志を推測するも年金を受くるが如きは快しとせざることならんなれば假令ひ之を贈らんとするも公の遺族に於ては必ず受けざる可し受けずとあれば致方なしとして更に他の方法を云はんに目下朝鮮の事件に付き日本軍隊の彼地に屯在するもの少なからず將校より兵卒に至るまで孰れも國事の爲めに身を外に役するものにして其心勞想ふ可し我軍隊の經理法は充分に整頓して糧食供給の如きは決して乏しきを感ずることなしと雖も在外の屯營は全く戰場に在ると同樣、百事不自由なるは申す迄もなく日々の飮食物とても一般の規定に由り給與さるゝものに限り他に求むるを得ずして生活の有樣は極めて不愉快ならざるを得ず斯る生活の中に於ては時に酒を飮み煙草を喫し菓子を喰ふが如き此上もなき鬱散の法にして平時に於ける美酒佳肴の盛饌にも勝ること萬々なれども在外不便の境遇にては之を得るの方便なきを如何せん國家の爲めに身を致すは軍人の常にして是種の不便不自由は固より覺悟の前なりとは云ひながら遙に其實際の事情を聞知して聊かにても之を慰めんとするは國民一般の情にして何人も感を同ふする所なれば今、公の爲めに據出せんとする二十五萬圓の金を其慰勞に向け故岩倉公の名を以て酒、煙草、菓子の類を在外の軍隊に贈與するが如きは必ず公の志にも適ふて最も適當の方案なる可し其費用を算するに將校より兵卒に至るまで上下一樣にして一人に付き一日十餞づゝとすれば合計一日に幾百圓、一個月に幾千百圓にして二十五萬圓の金を以てすれば數個月の閒、供給することを得べし一盃の酒、一服の煙草、一片の菓子その物は微なりと雖も時に取ては千金の贈物に勝るのみならず殊に故岩倉公の名を以てするの贈與品とあれば之を受くるものゝ感情も自から異にして大に一軍の士氣を奮はしむるの效あるや決して疑ふ可らず若しも公をして其有樣を目撃せしめたらんには必ず大に喜ぶことならん其志に酬ひんとするには此方案に及ぶものなかる可し或は物を軍隊に贈るは必ず公の志に隨ふて自から法恩の微意を達するに足る可しとするも其事たる唯一時の軍人を慰むるのみにして永久に記念として存するものなきに非ずやとの説もあらんかなれども我輩の所見に於ては決して然らず目下の形勢に於ては和戰孰れに決するや豫め知る可らずと雖もいよいよ戰を開くの日には勇氣日頃に百倍したる我軍隊は一撃の下に彼の腐敗軍を打破り城下の盟を爲さしむること嚢中の物を取るに異ならず斯くて世界に比類なき名聲を擔ふて街宣の時には敵地にて分捕したる銃砲軍器の類を持ち歸り公の恩を謝するが爲めに之を其墓前に備へ付くることゝなさば公の名譽は千載不滅にして之に勝るの紀念はある可らず或は若しも戰に至らずして平和に局を結び兵を引揚ぐることもあらんか其將校たるものは兵隊を引率し親しく公の墓に謁して禮意を表す可し幾千萬の軍隊が墓に謁して禮意を述ぶるとは古今絶無の事にして自から不朽の名譽として永く後世に傳ふるに足る可し我輩は今日に於て故人の志に酬ゆるには此方案を最も適當なる可し信ずるものなり