「奉天府に重きを置く所以」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「奉天府に重きを置く所以」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

奉天府に重きを置く所以

敵國の咽喉を扼して息の根を絶たしむるは必ずしも北京の侵入に限らず北の方、鴨緑江を

渉り滿州の三省を略して盛京省の首府なる奉天府を占領するときは充分に彼を苦しめて降

服の實を表せしむるに足る可しとは我輩の曾て述べたる所なり彼が奉天府の守備に意を用

ゆるは敢て今日に始まりたるに非ず殊に今回の事件以來は一層力を盡して防禦の手段を嚴

重にし大兵を屯在せしめて例の如く要塞を築き地雷火を埋める等、用心頗る堅固なるよし

畢竟奉天は今の清朝の豐沛とも云ふ可き故郷の地にして社稷宗廟も現に此地に存するが故

に斯くは力を用ゆることならんなれども社稷宗廟の名のみに非ず實際の實物の爲めにも必

ず全力を盡して之を守るの必要あるは我輩の曾て傳聞する所なり清朝の創業以來年々六百

萬兩の金を奉天府に藏むるの例にして今日に至るも其例を欠きたることなしと云ふ其次第

は彼の祖先は北方より起り支那の全土を一統して都を北京に定めたれども其支那に於ける

は實際に敵國を占領したるものにして决して永久の安全を期するに非ず一旦、變亂を生じ

て鼎の輕重を問ふものあるに至れば北京を引揚げて其故郷なる滿州の地に偏安を保たんと

するは祖先以來の遺謀にして一日も忘れざる所なれば常に奉天府の守備に重きを置き萬一

の塲合の用意として四百餘州の膏血を絞り年々六百萬の大金を彼地に積み以て他日の謀を

爲すものに外ならず彼の宗祖たる者が子孫永久の爲めを謀れば左もある可き事にして我輩

も其深謀遠慮に感服するのなり扨右の貯蓄金を年々六百萬として創業以來二百年間を通算

すれば總計十二億の大數に達す可し或は其六百萬云々も實際に一二十萬の人數を百萬の大

兵など號する支那人のことなれば多少の掛値も圖る可らずとして假りに其三分の一とする

も尚ほ四億の數を得る割合なり而して其金は如何なる形にて保存せらるゝや知る可らずと

雖も兎に角幾億の金銀が奉天府に貯へ在るの一事は公然の秘密にして疑ふ可らざるの事實

なれば彼が全力を其他の防禦に盡すも决して怪しむに足らざるなり或は今日の時代に假令

ひ支那人とは云ひながら斯る大金を恰も土中に埋めて全く利用せずとは殆んど信ず可らず

との疑もあらんかなれども實際に决して疑ふ可らざる次第は近く之を我國の事例に徴して

明白なる可し封建の時代に德川政府直轄の所領は殆んど全國の三分の一を占めて収入八百

餘萬石と稱し其収入には米納銀納の二樣ある其中に關西地方に於ける銀納の分は非常の用

意として悉く大坂城に収むるの法にして創業以來堅く其法を守り年々収入するのみにて一

錢も費さゞるが故に遂には右の金銀を藏めたる庫の數も十二戸前に達したりと云ふ而して

此非常金は出納の局に當るものゝ外は時の執政と雖も之を知るもの少なく凡そ二百五十年

の間繼續して如何なる塲合にも支出したることなかりしに幕府の末路、内外多事、財政困

難の折抦、皇妹和宮降嫁の事あり之が爲めに莫大の費用を要して到底支出の方便なきより

或人の建言により始めて大坂城の金庫を開きて用を辨じたりしが既に一たび蓋を開くとき

は之を鎖すこと容易ならずして次第次第に消費して其末年には一錢も餘まさゞるに至りし

と云ふ右は我國に於ける三十年前の事實にして我輩の現に見聞したる所、彼の支那人に於

て此事あるは决して怪しむに足らず即ち其幾億の金銀は彼が生命とも頼む所のものにして

假令ひ四百餘州の國土は全く蹂躙せらるゝも此貯蓄さへあれば退て滿州の地を保ち其社稷

宗廟と共に滿清の餘命を維持するに足る可しとて現在の國都なる北京よりは寧ろ此方面に

重きを置て只管防禦の手段を勉むることならん專制政府の政略、至極妙なるに似たれども

文明國人の兵略は自から別にして眼中既に已に見る所あり軍機一たひ熟すれば懸軍長驅鴨

緑江守らず長白山亦支へず忽ち其本據を衝かれて奉天府の社稷宗廟を併せて創業以來の貯

蓄金も遠からず他人の有に歸することなる可し滿清の末路憐れむ可きのみ