「 外國の仲裁と内國の平和説 」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「 外國の仲裁と内國の平和説 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

 外國の仲裁と内國の平和説 

今回の戰爭に付き近來又外國仲裁云々の説あり事實無根の風説に相違なけれども畢竟かゝる風説の生ずるは世間の軟骨輩が動もすれば外國人の擧動を皮相して其心事を誤認するが爲めなれば爰に一言して彼輩の疑惑を解くも自から亦無益の談に非ざる可し抑も日清の戰爭は東洋の商賣貿易に非常の影響を及ぼして外國商人の利害を動搖せしむること大なれば彼等の身と爲りて考ふれば素より戰爭を喜ばず苟も之を避くるの道あるに於ては百方、力を盡して平和の手段を試みるこそ當然のことなれ既に今回も未だ開戰に至らざる其前に於ては外國よりの申込にて和解を試みしは實際の事實なれども其事行はれずして遂に戰を見たることなれば今更ら漠然として同樣の申込みを再びするの理由はある可らず且今度の事たる理非曲直既に分明にして勝敗の數も亦論辯を俟たず全局の勝算、我國に在るは公平の眼より見て何人も疑を容れざる所なれば若しも此際仲裁を試みて平和の局を結ばしむるときは其成行は恰も日本の不利を顧みずして專ら支那人の爲めに謀るものに異ならず斯る仲裁談は到底行はれざる相談にして強ひて之を試みんとすれば力を以て干渉するの外に手段なきことなれば此一般に至りては外國人も自から自國の爲めに謀りて大に考ふる所なきを得ず戰爭の爲めに商賣を害するの害は大なれども僅に一時の風波にして忽ち平和回復の春を待つ可きに然るに其一時を忍ぶ能はずして強ひて結局の速ならんことを欲し或は力を以て干渉するが如きは交戰國の一方を敵にするの覺悟を以て始めて斷行す可き大事なり東洋の政略に深謀遠慮ありと稱する文明國人が他年の不利を顧みずして怨を日本國に結ぶの愚を爲さゞるは我輩の斷じて保證する所なり單に我國の爲めに非ず文明國自家の利害に訴へて深く自から思慮す可き所のものなればなり左れば外國仲裁の談は目下東洋の情勢に於て决して行はる可らざることゝして我輩の寧ろ掛念に堪へざるは内國に於ける平和説の發生なり毎度紙上にも述べたる如く目下商賣社會は外戰の聲に影響せられて次第に不景氣を催ほし株式市塲の如きも殆んど恐慌の有樣を呈したり昨今の處にては其不景氣も單に人氣の爲めにして實際には甚だしき苦痛なけれども今後戰爭の永續するに從ひいよいよ商况衰退の實を現はすに至るときは普通の人情として目下の苦痛に堪へず誰れ言ふとなく自然に平和説の發生す可きは我輩の今より豫言して殆んど疑はざる所なり外戰の最中に内より平和説を唱ふるは之を家事に喩れば牝鷄の晨するものにして國家の不祥のみか平和論者も自から省みて聊か愼しむ所なかる可らず試に見よ外征の軍人が勇進奮戰するは日本國の國權を伸張せんが爲めなり即ち内に在る同胞兄弟の榮譽の爲めに貴重なる生命を棄てゝ顧みざる者なり然るに其内に在る者が萬々一も鄙劣にして僅に商賣不景氣の爲めに錢を得ること意の如くならずとて謂れもなく和を講ぜんと云ふが如き醜體を現はしては日本國民の義に於て愧づ可きに非ずや然かのみならず其不如意も全く一時の事にして戰爭後の結果を眺むれば前途の多望想像の限りに非ず本年の末か晩くも明年春夏の頃目出度く凱旋の曉には日本國の名聲を世界に發揚すると同時に商賣貿易の發達繁昌は非常にして戰爭中一時の苦痛は夢の醒めたると同樣、全く痕なきに至る可し要は唯暫時を辛抱して錢の事を忘るゝに在るのみ若しも然らず區々たる苦情の爲めに内に平和の説を生じて外國の仲裁をして其機會に乘ぜしむるが如きこともあらんには大日本國の名譽を如何せん我輩は今度の外戰を我開闢以來空前の一大事として平和説の發生を豫防せんと欲する者なり