「 朝鮮の改革難 」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「 朝鮮の改革難 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

 朝鮮の改革難 

朝鮮の政治腐敗紊亂を極めたる結果として東學黨の内亂起り政府の微弱なる之を鎭撫すること能はざりしかば清國は援軍を出だして亂徒を討平せんと云ひ我日本も亦出兵して寧ろ其亂源を清掃せんと申出し其由を清廷に照會したるに彼の政治の腐敗紊亂も亦朝鮮に彷彿たるものなれば自から顧みて深く文明的の改革談を忌避したるものと見え明かに我國に向て交渉を拒絶したり是に於て我國は文明の爲め自衛の爲め獨力以て朝鮮の改革を勸誘することに决し一方には清國の暴力を挫き一方には着々改革の緒に就きつゝありと雖も窃に案ずるに凡そ改革の難きは朝鮮改革の難きより難き者なかる可し抑も一國の制度なるものは啻に政局に於てのみならず社會人事の細末に至るまで同じく其雛形に則りて恰も結晶せるが如きものなれば今夫れ朝鮮に於て廟堂の畫策は專制の古風を蝉脱するに在りと雖も其これを實地に施行していよいよ國内一般の面目を新にせんとするには人心内に發達して改革を迎ふるの素養あるに非ざれば不可なり之を我日本の維新に徴するに當時の政體は全く專制武斷なりしかども百年前より洋學を輸入して文明開化の主義を咀嚼したる者その人員こそ少なけれ社會に活動す可き有爲の人材なりしが故に一旦開國の氣運に會するや龍の雲を得たるが如く或は朝廷に或は民間に奔走周旋粉骨碎身して開明進取の方針を示し國民一般も亦能く之に應ずるの資質に乏しからずして纔に今日の順境に入る可き大方針は定まりたれども其間の困難は實に筆紙に盡し難し或は竊に頑陋なる和漢の古學説を説て復古を圖るものあり或は公然干戈を動かして逆流を企つるものあり種々樣々の支吾衝突は殆んど枚擧に遑あらざる程にして既往を回顧し今日を見れば殆んど意外の僥倖を博し得たるの感なき能はず讀者の親しく見聞して心に記する所なる可し盖し開明の新主義美なりと雖も社會の上下相共に之に應ずるに非ざれば不可なり上流の水源を開くも下流を疏通せざれば水の用を爲さず然るに我維新の大改革は社會の上流に新主義の人材ありて國民一般は其教育の有無に拘はらず一種靈妙の特性を具へ上下相率き相俟て世界絶無の偉業を速成したるものにして日本帝國は天祐を保有すと云ふも爭ふ者はなかる可し顧みて朝鮮の國内を見渡せば上下官民中能く新主義の眞味を解したる者果して幾人ありや明治十七年に於ける變亂の主動者たりし金朴諸氏の如きは即ち其人にこそあれども僅に二三の人物に過ぎずして爾後追々同志の减ずるあるも更に増すことゝてはなく餘は悉く守舊陋劣の輩にして殊に滔々たる人民に至ては頑冥不霊教えて教ふ可らず相替らず事大の卑屈心を以てして文明を敵視せざるはなし彼等は今や我國の兵威に怖れ唯々諾々として改革に從事する樣なれども其誠心より之を企圖するに非ざるは勿論にして窃に日清戰爭の成行を觀望し兎も角も一時を粉飾するに過ぎざるのみ多少有識の輩にして此の如くなれば無智の愚民に至ては支那を尊崇するの氣風骨髄に徹し豊嶋の海戰、牙山の陸戰を見聞しても猶ほ未だ文明の威力を悟らざるのみか牙山にて敗走せる清軍の殘兵が易々と逃竄して既に平壤の清軍に合したりとは全く沿道の韓民が負けても彼等に對し禮遇を與ふるの確證として見る可し况して平安道黄海道邊の官民が清軍の爲めに道を修め橋を造り將た兵士となり人夫となりて其募集に應ずるが如き怪むに足らざることにして他の京畿道全羅道邊にても内心は依然として平安黄海と擇む所なかる可し朝鮮國内の人心にして此迷夢を醒さゞる限りは千百の改革を慫慂するも决して實効ある可らず如何にして其迷夢を醒す可きやと云ふに唯一戰以て清軍を破り老大國の到底依頼するに足らざるを示すの外なけれども曩の海陸の二戰にも未だ信を日本に置かざるの有樣なれば平壤の大軍を撃破するも猶ほ或は半信半疑の中にある可くツマリ我軍は星馳電撃して北京を屠り城下の盟をなさしめざる限りは朝鮮改革の功も遂に一簣を欠くの憾ある可し否な假令ひ戰勝の後と雖も改革難の難きは想像に餘りある所にして將來幾多の年月間は毫も手を寛むること能はざる可し我官民は今より堅く覺悟して敢て動く可らざるものなり