「 朝鮮の刑罰 」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「 朝鮮の刑罰 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

 朝鮮の刑罰 

は頗る慘酷にして小過に加ふるに大刑を以てするあり一人を罰するに九族に及ぶあり或は磔し或は稟して目も當てられぬ有樣なるは毎度聞く所の談にして我國人は窃に眉を顰め將來改革を實施するに就ては此等の刑==も宜しく文明の主義を注入すべしなど言ふ者あれども盖し談見たるを免れざる可し朝鮮人の心は我國人等斃す可きにあらずして彼我文野の相距る啻に宵=のみならざるが故に刑罰の如きも矯心を以て彼を忖るは必竟無益の思ひ遣りに過ぎざるのみ例へば良家の父母が其子女を養育するには罪過失錯あるも决して毆打罵詈することなく萬止むを得ざる塲合に少しく顔色を起す位のことにして十分の懲戒と爲り子女は父母の顔色に異状あるを察し惴々焉として自から愼み片時も早く其和ぐを祈らざるはなし之に反して下等社會の裏店邊に至れば親子の關係の亂暴なる殆んど上流人を驚殺する程にして顔色の作用の如きは更に其効なく之を叱すれば却て抗言を試むるの有樣なるが故に更に進んで罵詈をも加へ毆打をも爲さゞる可らず其亂暴慘酷甚だ忌む可きに似たれども下等社會の家風その由て來る所既に久しく、一朝一夕の思付を以て假に上流の風を學ぶ可きにあらず亂暴慘酷も亦彼等の社會に在ては自から家を治るの一法として視る可きのみ左れば今朝鮮人の粗野にして其刑法の慘酷なるも自から彼等が治國の必要に促されたることなれば漸を以て次第に之を緩和するは可なりと雖も俄に文明の法理を移植して彼等を勸懲せんとするが如きは恰も下流の子女を叱するに顔色を以てせんと欲するものに異ならず迂遠なりと云ふ可し聞く所に據れば目下日本政府の筋にて彼の改革を助るに細々樣々の忠告を試る中にも法律を寛にして罪を輕きに處するの一事に就ては忠告者の注意最も厚しと云ふ至極の美事なれども幾百年來裏店の子に等しき朝鮮人を御するに即案の寛大法を以てして果して能く懲戒の實を致すに足る可きや否や我輩素より嚴罰極刑を悦ぶ者に非ざれども惡症の腫物に切斷を施すと一般、時と塲所とに從ひ止むことなくんば罪人の身分由來如何に拘はらず嚴重の處置も亦却て改革を速にして治安の基礎を固くするの効能ある可しと敢て當局者に勸告を試るものなり

   清人の驕氣 

支那人の虚誕誣妄至らざるなきは殆んど其天性にして今回の日清戰爭に就ても啻に事實を隠蔽するのみならず自國の大敗を以て却て日本の大敗となし有らん限りの誇言惡口を以て我國を罵り想像の及ぶ限りに惑説を捏造して獨り自から慰むるもの文書に圖画に一々枚擧に遑あらず呆果てたる種族にして近日我國人も之を聞て次に其無禮を怒り何とかして彼等を懲らしめ其口を鉗して屏息せしめんと欲する者あるよしなれども我輩の所見は大に異なり元來彼等の驕傲尊大なるこそ我が爲めには好都合なれ兵驕るものは敗るゝの常にしていよいよますます驕らしむ可し彼驕らざれば我亦多少の手數を労せざるを得ず例へば支那の艦隊が今や渤海灣底に蟄伏して務めて戰爭を避くるが如きも必竟=嶋の海戰に我艦の攻撃餘り手強かりしが故ならん當時少しく餘喘を與へたらば彼再び艦隊を催ほして來戰すべく隨て一擧に之を撃破するの便利もある可かりしに頓に敵の覇氣を挫きたるは却て彼を誘ふの便を欠きたるの感なきにあらず幸に支那人の虚僞的天性は其敗を變じて勝と報じ轉々ますます虚を大にして清朝の廟堂には海戰も陸戰も共に中華の掟と信ぜられ覇氣未だ全く消磨せざる趣なれば今後も成るべく其空威張を逞ふせしめて軈て北京城を屠るに及んで始めて愕然として後へに瞠若たらしむるも亦戰時の一眞ならで自から一策なる可し要するに支那人は飽までも驕りに驕りて其頂上に達せんこと我輩の遙に祈る所なり