「明治二十八年」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「明治二十八年」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

明治二十八年

維新以來新を迎えること茲に二十八回毎年慶賀を〓るは人〓の常なれども我輩の慶賀する所は單に延喜を祝うにあらず日本帝國の文明は明治よりして其進歩殊に著しく日に新にして又日々に新なるが故に新年に際しては毎に文明の進新を賀して窃に前途に望む所ありしに明治第二十八の新年に至りて年來の文明その光を放つこと最も花々しく空前の大事を〓して空前の成績を現わし往く往く將に非常の點に達せんとする時運に會したるは誠に開〓以來未曾有の目出たき新年と云う可し夫の哲學流に戰爭を蔑視する未來は漠たり、今の人文の程度に於ては武功を重んずること猶ほ古の如く其人心を動かして國家を輕重するもの戰爭より甚だしきはなしとすれば我國の近時たる實に意想外の偉〓にして日本帝國の爲めに新紀元を造るものと言うも過言に非ざる可し源頼朝が蛭ケ嶋の一冠者を以て鎌倉三代の覇基を開きたるは一ノ谷の戰勝に外ならず〓川が天下を統〓すること三百年の久しきに亘りたるも關ケ原一戰の餘光にあらずや西洋に於ても獨逸の今日あるは一千八百七十年大勝を得たる結果にして佛國が當時より覇權を傷け今猶ほ克復せざる所以も亦戰敗の爲めにこそあれば此回我日本が〓國に對して連戰連捷の功を奏し〓に旅順の堅陣を破りて不日北京を陥れんとするが如きは之を獨逸のセダン戰勝に比して優るあるも劣る可からず此時に當り徒に〓國を老朽國と稱し彼我兵士の怯勇を論じ武器の利鈍を言うが如きは抑も末の談にして日本は啻に東洋の天地に勝を制したるのみならず行々は文明世界の全面に於て治亂の大勢を左右するものと爲る可きや復た疑を容れざるなり我輩の大に祝するは專ら此邊に在るのみ盖し事物の輕重を察して其價を評するは人の智愚に由ることにして例へば今〓我戰勝を目撃して其將來の機微を察するに最も鋭敏なるは局外の歐洲人にして却て最も〓鈍なるは當局〓朝鮮人なるが如し歐洲人は夙に宇内の大勢を〓〓するに慣れて國力消長の理數に明なるに反し朝鮮人は支那の大なるを知りて世界の廣きを知らず偏狭固〓〓爾として空しく生死するのみにして文明の進歩、國威の伸〓等世界の大勢に就て無感覺なる其有樣は市井貧小の小商人が商賣〓會の大勢を知らず身〓から大勢の爲めに左右せられながら自から覺えざるものに異ならず左れば能く戰勝の價値を知ると否とは大勢に通ずると通ぜざるとの相違にして随て國民の智愚を分つ所以のものなれば我輩は〓戰勝を喜ぶと同時に其結果如何を察し之に對する覺悟ありて始めて日本國民の果して進歩國民たるに愧ざるを〓ずる者なり否我國人は〓に〓〓人の何者たるを知り支那朝鮮人の〓〓たるを知りて多年來東洋の〓〓に雌伏するを〓せず今日始めて雄飛の端を開きたる次第なれば〓〓〓も一世を〓〓して期する所〓して少ならず其戰勝の結果も勝利以て一時の〓を取る者に〓まるなり現に其證據は今度の戰爭〓〓て國中一人の〓を言う者な〓〓〓同昔全力を傾けて敢て辭する者なきを見ても知る可し若しも尋常の戰爭にして他に大に期する意なくんば擧國一致の熱〓如何して能く此の如くなるを得んや是亦我進歩の一大兆候にして想うに明治二十九年は更に一層の喜ぶ可きものあらん我輩は今月特に在外將士の辛勞を謝し併せて同胞國民の〓〓と〓〓熱心とを祈るものなり