「李鴻章の渡來、講和の談判」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「李鴻章の渡來、講和の談判」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

李鴻章の渡來、講和の談判

敵國の〓和使李鴻章の一行は豫期の如く昨日馬關に來着したり我全權たる伊藤陸奥の二大臣も〓に同地に在りて右の一行を待受けたれば全權委任の手續にして前回の如き不都合を認めざるに於ては談判は直に開かる其事〓を如何と云うに或は今日と爲りては彼に於ても最早や勝算のある可きに非ず若しも今後戰爭を繼續するときは北京の陷落も目前にして非常の損辱を蒙らざるを得ず彼の頑冥無知の支那人も〓に悟る所ありて〓生の傲慢不遜にも似ず〓和論の主張者なる李をして〓和使として自から渡來せしむるに至りし次第なれば名こそ〓和と稱すれども其實は力盡きて降伏するものを同樣にして其窮〓想い見る可し左れば我より指命する絛件は一として聽かざるなく惟命これ從うならんとの〓もあれども又これに反して驕慢〓傲、死に至るまでも悔いざるは支那人の特性にして殆んど常理にを以て解す可からざるものあり李鴻章が今度の戰爭に就き率先して和議を唱え又自から責任を負いて使〓の任に當りたるを見れば〓や事理を解するものゝの如くなれども彼も亦等しく支那人にして傲慢の性質は免る可からず或は彼の心に於ては堂々たる中華の大國を以て苟も日本の如き〓爾たる小國に對して讓る所あるのみならず世界に有數の人傑として諸外國人さえも感服したる有名の李中堂が自から出でゝ使すとあれば日本人は之に滿足して必ず多きを望まざることならんなど自から傲慢の慢畫を畫つゝ來りしやも知る可からず而して彼は其結果を齎らして國に歸り日本人を〓付て閉口せしめたりなど吹聽し以て自家の勢力を張る材料に供せんとする野心もあることならんなれば彼我の望む所は案外の相〓を呈するならんとの〓もなきに非ず我輩の所見を以てすれば彼が〓和の事〓も兎も角もとして今や我作戰の計畫は次第に歩を〓め〓戰〓勝の勢に乗じて北京に〓入するは數旬の間に在るのみか國内一般の與論を如何と云うに彼の〓傲を〓て充分に交戰の目的を〓せんとするには是非とも北京に〓入して日本の勢力を彼等の眼前に示さざる可からずとて〓和使の渡來の如き寧ろ〓惑に思う〓なきに非ず日本人が北京の〓撃を希望するは敢て戰を好み敵の首府の陷落を見て快しとするものに非ず只かくの如くせざれば彼等をして自から悟らしむるに足らざるが故に交戰最後の目的として其必要を期することなれば彼の使〓にして自から自國現在の地位事〓を明にし大に悔悟の〓を表して實際に北京を失いたると同樣の覺悟を以て和を〓わんとならば直に事の落着を見ることならんなれども若しも然らず彼れ尚ほ悟らずして多少にても自から〓む所あるに於ては御苦勞ながら折角の渡來も徒勞に歸し却て新來の珍客を北京に〓えるに至らんのみ