「萬里の長城」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「萬里の長城」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

萬里の長城

戰爭の起るや宣戰の布告を見るの日に起るに非ず幾數年の間、その關係次第々々にむすぼれて解く可らざるに至り遂に始めて開戰の端緒を見るものなり左れば平和の回復とても決して平和條約の締結批准を以て終結す可きに非ずいよいよ反目の感情を解いて常に復するは自から數年の後を期せざるを得ず例へば普佛露土の如き戰爭後既に二十餘年の久しきに及べども双方の感情尚ほ釋然たるを得ずして動もすれば紛紜を見ることあり一旦戰を開き干戈を以て相見たる上はいよいよ平和の常に復して全く痕迹を留めざるに至るは容易ならざることゝ知る可し昨年來の日清戰爭は其由來一朝一夕の故に非ず幸に過般の談判にて一先づ平和の局を結びたれども其條約は兩國全權の調印に止まりて未だ彼の國帝の批准を經たるに非ず或は其期日は條約面に明文を掲げたることなれば批准は滞りなく濟むものとするも豫め測る可らざるは國際間の風雲にして如何なる邊に如何なる枝を生じて意外の變化なしとも云ふ可らず兎に角に條約の調印批准を以て永久に平和の回復と認むるが如きは速了の見たるを免れざるものにして前途尚ほ悠遠なる其成行の中には或は我に利することもあらん又は損することもあらんなれども一時の利害得喪は姑く擱き今度の戰爭に付き日本國民の全體に日本國なる觀念を強からしめたるの一事は實は戰爭の賜にして我輩は只この一事を以て非常に滿足するものなり抑も我國にて外戰と云へば遠くは神功皇后の三韓征伐、近くは豐太閤の朝鮮征伐なれども今日と爲りては歴史上の事實として單に席上の談柄たるに過ぎず其他源平以來、王政維新前後の戰爭に至りては何れも一國内に於ける國民相互の内戰にして互に利害を反對にし一方に勝て喜ぶものあれば一方には負て悲むものも多し或は官賊の區別を云々する大義名分論もなきに非ざれども其官と云ひ賊と云ふも單に一時の行掛りより去就を異にしたるものにして雙方共に日本國の臣民たるに相違ある可らず同じく一國民の中にて互に勝敗を爭ひ互に喜悲を異にするの戰爭なれば其戰爭は如何なる性質のものにても日本國なる觀念を發輝せしむるに於ては毫も効能あることなし源平以來大小幾百回の内戰は只是れ小兒の戯のみなりしに然るに今度の日清戰爭は此點より見れば國家の爲めに如何なる幸福なりしぞや國民全體目指す所の目的は唯一つにして然かも其目的の敵は清國と名くる外國なりと云ふ昨年の開戰以來我國民の勇奮興起は實に非常にして苟も籍を日本國に有するものは華士族平民を論ぜず官民朝野に拘はらず眞實心を一にして外に向ひ國の爲めに戰ひ國の爲めに死し國の爲めに憂ひ國の爲めに喜び眼中たゞ日本國あるのみにして其他を見ず北は北海道の隅より南は鹿兒嶋沖縄の端に至るまで日本國中の津々浦々苟も人の棲まん限りの内には處として敵愾心の發生を見ざるはなし實に千古未曾有の出來事にして之が爲めに日本國民の思想中に日本國なる觀念を強からしめたるの結果は疑ふ可らず我輩の非常に滿足する所なり數年前我輩は曾て外戰の利益を唱へて國民をして日本國なる觀念を超さしむる爲めには是非とも外國と戰はざる可らず戰爭の結果、敵を征服して我國の勝利に歸すれば素より充分なれども假令ひ戰に敗れて或は國土の一部分を失ふが如きことあるも之が爲めに國民全體に國の觀念を發輝するに至るときは差引して立國上の利益と云はざるを得ず求めても外國と戰ふ可し云々の旨を或人に語りたることありしが今回は我より求めずして自から戰爭の端を開き然かも其結果として國民全體を勇奮興起せしめ茲に始めて完全なる日本國の觀念を發輝せしむるに至りしは我輩の曾て期したる處に違はず其利益たるや實に永遠確實にして我國の爲めには恰も萬里の長城を造りたるに異ならず既に此長城あり日本帝國の萬々歳は必ず疑ある可らず此點より見れば今度の戰勝に付き割譲地の廣狭、賞金の多少の如きは敢て物の數に非ずして必ずしも深く意に介するに足らず我輩が國の觀念發輝の一事に就て非常の滿足を表するも敢て無理には非ざる可し