「新領地の移住を自由ならしむ可し」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「新領地の移住を自由ならしむ可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

新領地の移住を自由ならしむ可し

新領地の處分に就て土着の人民に對するの手段は嘗て述べたれども日本帝國の領地として商賣に殖産に利益を收め兼て其土地を繁昌ならしめんとするには成る可く多數の内地人を入込ましむること肝要にして自から其移住を促すの方法なきを得ず我輩の所見を以てすれば定期航海を頻繁にして往復を便利ならしむると同時に渡航の手續をば極めて簡易にして人民の自由に一任し毫も之を牽束せざること最も必要なる可しと信ずるなり新領地は日本の版圖内なり日本人が日本の内を往來するは固より自由なる可き筈なれども從來の事實に徴するに小廉曲謹は日本人に免れざる一種の癖にして或は新領地の如きも人民の往來を全く自由にするときは無産無頼の破落戸もしくは一種の婦女子などが入込みて種々の不都合を働き種々の醜體を演ずるに至る可しなどの掛念より窮屈なる法令を設けて内地人の渡航を牽束するが如きことなしとも云ふ可らず若しも然らんには不得策の甚だしきものと云はざるを得ず抑も新領地に往て事を爲さんとするものは決して實直正潔のものゝみに非ず無賴の徒もあれば破廉恥のものもあり其種類は種々雜多にして隨て種々雜多の不都合も起ることならんと雖も我輩は啻に心配せざるのみか其種類の如何は論ぜずして唯その人數のますます多からんことを希望するものなり若しも出來得ることならんには移住者は悉皆財産家に限り其企業の如きも容易に着手せしめず着實穩當を旨として然かも土地を繁昌ならしむるの結果あらば甚だ妙なれども新地の事情は内地の有樣に異なり固より我版圖に歸したる上は充分の兵力を備へて外敵に侵さるゝが如き患なきは勿論、法律の保護も行届きて生命財産の危険を感ぜず商賣殖産の事業は安全に行はるゝことならんと雖も何を云ふにも現に昨日までは敵國の領地に屬し其人民は取りも直さず敵國人にして我を敵視したる者共なれば一旦收めて新領地と爲すと雖も彼等の心事は尚ほ測る可らずして之に接するには不安心の思なきを得ざる尚ほ其上に氣候風土も全く内地と異にして動もすれば流行病を發し易く殊に未開の土地に至りては猛獣毒蛇の危險さへなきに非ずと云ふ苟も相應の財産を有して其安全を期するものは内國に於て放資の塲所なきを患へず何を苦しんでか斯る危險を冒して萬一の僥倖を謀る可けんや左れば事後早々その地に移りて業を企てんとする者は何れ無資力の冒險者にして家道安き富豪の種族は容易に起ざる可し然るに若しも窮屈なる制限などを設けて渡航を自由ならしめざるときは實際に移住を企つるもの甚だ稀れにして本國の威力を其地に及ぼすこと能はず或は土着の人民を日本化せしむるが爲めとて辮髪を斷ち衣服を變ぜしむるなど斷然の處置を施すも一般の氣風は依然たる支那流にして内地人は却て壓倒せらるゝの結果なしとも云ふ可らず何れの國の事例に徹するも海外の植民地などに移住して種々の事を企つるものは多くは無資力の冒險者に限るの例にして植民地の富豪家なるものは本來無一物より家を成したるもの多し日本の新領地に於ても他日家を成すものは必ず無資無産の〓にして財産家の移住の如きは最初より望む可きに非ざれば苟も其地に往かんとするものは如何なる種類の輩にても自由に許可して毫も牽束することなく移住者の一人にても多くして早く内地の威力を及ぼさしむると共に目前の不都合不體裁を咎めずして他日の成功を期すること肝要なる可しと我輩の敢えて信ずる所なり