「外交の大方針を定む可し」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「外交の大方針を定む可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

外交の大方針を定む可し

外交の術は即ち談判の術なりとは専ら其運用に就て説明したる言葉にして外交術なるものゝ結局の目的に至ては唯自國の利益を謀るの一事に外ならず抑も國の利益に二種の別あり一は貿易の利を收得する事と又一は國勢を伸暢する事なり而して貿易上の利害の如きは之に從事する商人輩が自から拔目なく注意して決して等閑に附することなければ此事に付き外交術に借る所は僅に通商條約締結の手加減位に過ぎざれども若し夫れ國勢を伸暢するの一事に至ては最も外交家の苦辛經營を煩はす所にして外交の術は表するに此一事に在て存すと云ふも過言にあらざる可し盖し國土如何に大なりと雖も兵力如何に強しと雖も孤立して列國連合の衝に當り尚ほ能く久しきを保つの國はある可らず故に大國の間に列して國勢の伸暢を謀る者は先づ第一に意氣相投じ利害相共にす可き所の者を撰んで之に交はり以て敵とする所の者を孤立せしむることを勉めざる可らず支那戰國時代の合從連衡の策若しくば我元龜天正時代に行はれたる諸候の味方積なるものは即ち其實例にして何れも利を共にする所の者と相結んで害となる者を制御するを以て目的となす者なり安政以來我國は弘く外國と交通を開くと雖も其締結したる條約は所謂偏務的の條約にして我貿易を利するが爲めに計畫したるものにあらず又連合同盟の策の如きに至ては頓と之に心を傾けたることなく列國を見ること平等一樣、恰も賓客の如くに之を待遇し一國に親交して他國を制するなどの政略は未だ曾て實際に施したることなし左れば甲國の公使が偶ま有爲の人物なるときは多く甲國の文物を採用し乙國に留學したる書生が歸朝して要路に立つときは乙國の學説風俗俄に奬勵を受けて世に流行する等、百般の取捨去就、都て一事の咸情より生じて從て朝野共に各自其好悪の情を基として親疎の區別を立るが故に親交決して親交ならず疎外必ずしも疎外ならず其親疎は國の親疎に非ずして寧ろ人の親疎と云ふも可なり右の如き次第にして英と云ひ獨と云ひ佛と云ひ米と云ふ其學問の行はるゝこと其機械の輸入せらるゝこと皆一時の流行に止まり決して國の利害に基て計定したる不拔の根據ありて以て親疎を分つに非ざれば我日本は開國以來未だ曾て眞の外交なるものゝ經驗なしと云ふも不可なきが如し然るに昨年初夏干戈を朝鮮に動かしてより以來事態頓に一變し我國も亦愈よ外交の政策を講ぜざるを得ざるの位置に臨めり將來國〓の〓長は全く此一事に係ることなれば當局者は宜しく深く察して以て計畫する所なかる可らず

夫れ東洋に國を立る者、曰く土兒格曰く百兒斯何れも我れを距ること遼遠にして所謂風馬牛相及ばざる者なり曰く支那曰く〓〓曰く朝鮮此三國の如きは近く我れに隣すと雖も勢微に力弱く共に攻防同盟の事を語るに足らず唯歐洲列國の中、露佛英の三國は其境土一葦帯水を隔てゝ我れと相接し常に東洋に數十の戰艦を備へて以て彼此猗角の勢を爲すを以て我れ若し今後の策を講ぜんと欲せば此三國の中に就て親交する所を撰ばざる可らず然り而して彼の列國亦各其利害を異にするが故に豫め之を察知すること最も肝要なりとす假令ひ彼等は東洋に於て如何に日本の親交を利すると云ふも歐州に於ける列國間の關係又これよりも更に切なるものあるときは寧ろ東洋に於て日本を敵とするの不利益あるも之を忍んで以て歐洲同盟の利益を收めんとすることなきに非ず例へば頃日の事の如き獨逸は東洋に於て敢て大利害を感ずるの國柄にあらざるにも拘はらず自から進んで彼の「友誼的忠告」の主動者發頭人たりしに非ずや又佛國は平素常に我に對して交誼を敦ふしたるにも拘はらず尚ほ忠告同盟の一國たり盖し彼等は必ずしも日本を仇とするの心あるに非ざれども其自己の利とする所更に大なるものあるよりして遂に已むを得ず斯る擧動に出でたる者と知る可し即ち彼れ我れを愛せざるに非ず唯彼れ自から己を愛すること我れを愛するよりも更に切なればなり昔蘇子齊の閔王に説て曰く於諸候之故明ニシ於地形之理ヲ察スル者約セ不シテ親ミ相質セ不而固ク趨不而疾シ事衆而反セ不交ゴモ割而相憎マ不倶ニ強而加マス以親シ何則形憂ヲ同而兵利趨レメ也と曩に英國の首相ソールズベリイ侯は同盟の事を釋して「同盟の條約は一片の故紙に過ぎず利害を共にする者の相提携するこそ天然眞乎の同盟なり」と云へり同盟の極意を説く者古今東西符節を合すが如し左れば今日歐洲列國の中より我同盟たる可き者を撰ばんと欲せば先づ彼れ列國相互の關係内情を觀察すること甚だ肝要なるは多言を俟たずして明なり

千八百四十八年匈牙利の民起て其宗國墺地利に叛くや勢頗る猖獗にして墺國政府も殆んど之を制すること能はず百計盡て遂に露國の援兵を乞い以て辛ふじて鎭定することを得たり千八百五十六年英佛土の三國同盟して露國と戰ふに當り墺國は露國が曩に其内亂の鎭定を援け呉れたる恩義を忘れ英佛と同盟して兵を露國の中央に進めんことを謀れり時に普魯斯は墺國を獨逸聯邦の外に驅逐して自から覇業を建んとの陰謀を抱きつゝありしが墺國を伐つに當て後顧の患なからんが爲めには露國の歡心を得るに若かざるを以て刻下墺露の間に反目の情あるを見て忽ち其機に乗じ獨逸聯邦の縁故に由て陽に墺國と結び陰に種々の計策を運らして同盟軍の露國の中央に進むことを阻み同盟軍は之が爲めに僻遠の地方クライミヤに於て數年の間不利の戰爭を經續し終にセバストポール城を拔て戰勝つと雖も兵を罷らし財を費し得る所なくして止みたり露國は大に普國の此擧を德としたるが故に千八百六十六年普墺戰を開くに當り露國は始より普と親みて之に聲援を貸し以て先年の德に報い併せて又自家の怨に報ゆるの快を取りたり此時に當て普の恐るゝ所は唯佛國の干渉のみ故に彼は百法手段を盡して佛帝を瞞着し之に啗はしむるにライン河左岸の地を併呑することを黙視するの密約を以てし遂に首尾よく佛國をして此戰爭を袖手傍觀せしむることを得たり和成るの後佛帝は將に普と密約したる所を實行せんとしたるに普は忽ち前言を食んで之に抵抗したり是れ即ち佛人が大に普國を怨むに至りし原因にして千八百七十一年に及んで遂に兩國の間に戰端を開くことゝはなれり初め普墺戰爭の起るや普國は伊太利を促して己れに同盟せしめ彼をして伊太利における墺國の諸領地を略取せしめたり又普佛戰爭の起るに先ち普國は曾て佛帝が墺國を削りて普佛の間に分取せんことを謀りたる條約草案及び外交の文書を世に公にして墺國を怒らしめ以て墺佛兩國の交を絶てり而して伊國は普と結んで以て佛が羅馬法王の事に干渉することを阻止せり是を以て普佛戰爭の終るまで他國の之に干渉する者更になかりき普相ビスマルクが世に大外交家を以て稱せらるゝは畢竟するに是等の操縱に付き神機妙算測る可らざるものありしを以てなり千八百七十六年露国は大に兵を起して土兒格と戰ひ數ば敗忸して後勝つことを得サンステフアノの定約を結んで土領の割譲を受けること多し盖し露國の意は曩に普國が墺と戰ひ又佛と戰ふに當り露は陰に普を助けたるの德あるのみか今度露土の戰開くるの前に普に暗に之を勸奬したるの形跡さへあれば土兒格と如何なる定約を結ぶも普は必ず之を贊助するならんと期し居たるに何ぞ圖らん英國が之に干渉するに及んで普は露を贊助せずして却て英國に左袒したるにぞ伯林大會議を開くに及んでサンステフアノの定約をば修正して割譲地は多く之を土廷に還附することに一決したり此時よりして露は普に對して徹骨の怨を抱くことゝはなれり盖し普墺の二國が英國を助けたる所以のものは露が東歐に勢力を得ることの過大なるを惡めばなり爾後普國は北には露の怨を受け南には佛國の常に己を仇讎視する者あり此間に在りては如何に強大なる獨逸帝國と雖も孤立して久しきを保つこと甚だ覺束なきを以て遂に獨墺伊の三國同盟なるものを經營して露佛は各孤立の姿となれり思ふに墺は獨に對して快きを得ず又伊國を視ると叛賊も啻ならざれども然れども露國の復讐に備ふるには三國の同盟に依らざる可らず伊も亦た從來の關係より云へば墺に對して親交す可き理由なしと雖も佛國に對しては到底獨手を以て當る可からざるを以て是非とも三國同盟の力を借るの必要あり是れぞ即ち此同盟の堅固なる所以なりと知る可し又此間に露佛二國は其政體の正反對なるに拘はらず互に相親密ならんとするの傾あれども其同盟未だ固からざるを以て爾來十數年の間右三國の同盟は能く歐洲の平和を維持することを得たり然りと雖も年久しきを經れば舊怨も漸く薄らぐことあり又怨を匿して親密を装ふ者も長日月の間には更に不快心を増進す可き事情の生ずることなきに非ず左れば近來に至て墺露は漸く相親交せんとするの傾あり又伊國は三國同盟に必要なる多額の國費を供給するの力漸く衰減したれば獨墺を離れて他に同盟を求めんとするの傾あり歐洲の形勢斯の如くなるを以て露國が將に東洋に事あらんとするときは獨は努めて之を奬勵して以て彼の歡心を求め併せて又自家の禍を遠境に嫁せんことを謀り佛は自から東洋關係の利益少なからずと雖も歐洲の大勢に於て露國と離るゝの損害莫大なるを以て其心中に欲せざる所をも猶ほ露國の意志に從て行はざるを得ざることあり獨り歐洲強國の中に在て洋中に介立し大陸の列國と境を接せざるが爲めに列國連合の中に加はらざる者は英國なり而して其版圖は北半球の南部各地に互りて北の方露國と處々に境を接し常に之と敵對せり露は地中海に百兒斯灣に渤海灣に又朝鮮の東北に漸く其版圖を攪め必ず海に達して以て良好の海港を得んことを期し不倦不撓以て其志を貫かんとする其一方に於て英國は版圖既に廣く軍略上に貿易上に要害の地を有すること頗る多く其目的とする所は既有の利益權勢を維持して以て他の侵略を防ぐに在るのみ」

歐洲列國の形勢大略斯の如し日本は其中の孰れを味方として孰れに備ふるを得策とするか之を斷定するは敢て難事に非ざる可し即ち大陸の諸國は何れも其本國に於ける利害の關係切なるものあるが故に假令ひ一時は我れに對して好意を表するが如きことあるも一旦事起るの日には忽ち其擧動を豹變して人を驚かすことなきを期せず現に我輩は世人と共に實際の經驗に由て此事を熟知する者なり之に反して我れと利害を同ふし所謂約せずして親しく相質せずして固く互に割愛して相憎まず倶に強くして加す親むの夫の天然眞乎の同盟國なる者は即ち歐洲の大陸に利害の關係少なくして而も東洋に於ては既成を守り他の歐洲國の侵略を防がんとする者に非ずして誰れぞや日本人民は須らく一旦の憤激心を抑へ力を貯へ海軍を強うし専ら利害同しき者と交を固くして以て他日事あるの時を俟つ可きなり