「株式取引所」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「株式取引所」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

株式取引所

東京株式取引所の株は五十圓拂込のものが四百三十何圓の高直を現はしたり非常の騰貴にして尋常の事態とは見る可らず彼の増株云云など内部の魂膽に自から暴騰を促したる事情もあらんなれども其事情は兎も角もとして目下の實際に株式の取引は廣き東京市内に唯一個所と限られて專有獨占の實を成し恰も世間に行はるる賣買を一手に引受るの姿なれば利益の尋常ならざるは素より其所にして自然の結果と云はざるを得ず或は昨今の如き株の騰貴は一時の事相なりとするも會社の營業に利益の格段なるは實際の事實にして此事實は取引所の株主を喜ばしむる其反對に一般に商賣社會の不利不便を證明するものなり抑も近年我國の商工業は非常の進歩にして諸會社事業の發企と共に其株式の賣買もますます盛なり而して東京は恰も全國の中心點にして萬般の衝に當るが故に取引の忙はしきこと日も亦足らざる有樣にして今後多多ますます繁劇を加ふるは疑ふ可らざるの成行なるに然るに賣買の媒介所たる取引所は只一個所のみにして到底世間の望を滿足せしむること能はざる其證據には現在とても取引の少しく忙はしき時には其始末に窮して帳簿整理の爲めとて賣買を中止することさへなきに非ず一般の迷惑一方ならざることなれば更に取引所の増設を許して世間の商賣を滑にし多數人の便利を謀るは事の當を得たるものなる可し盖し政府が取引所の設置を一地區内に一個所と限りて東京市中に増設を許さざるは如何なる理由に出でたるか知る可らず或は當時の意見に於ては一個所のみににも實際に差支なしと認めたることならんかなれども今日の實際は右の次第にして一般の不便この上もなしとの事實明白なる上は意見を改むるに躊躇するの理由はある可らず凡そ人民の住居する市街には其區域内に必ず二三軒の酒屋、八百屋、豆腐屋等ありて日日の需用に應じ互に競爭して用辨を達するの常なり盖し商賣の利益は互に平均するものにして苟も偶然の機會を得るか又は非常の危險を冒すに非ざれば異常の利益は望む可らざるの約束なるに然るに今の取引所は單に賣買の媒介を爲し其手數料を收むるのみにして格外の收益ありと云ふは畢竟一個所の制限の爲めに專有獨占の實を成すが爲めにして商賣を澁滯せしめて一般に不便を感ぜしむるのみならず時としては種種の魂膽など運らしてますます自から利せんとするが如き其結果甚だ妙ならざるを見る可し我輩は單に取引所の利益に就て云云するに非ず只世間一般の便利の爲めに專獨の制を改め更に増設を自由にして互に競爭せしむるの得策を認むるものなり