「・赤十字社の事業」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「・赤十字社の事業」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

・赤十字社の事業

日淸戰爭の事實は外國人の意表に出でゝ彼等を感服せしめたるもの多し〓爾たる東洋の小嶋國、或は支那の所屬には非ずやなど疑はれたる日本國が世界屈指の一大帝國と戰を交へて連戰連勝、敵をして屈伏せしめたるのみならず其一小嶋國が十萬に餘る大軍を海外に出して凡そ一年閒の戰爭に啻に軍資に不足を告げざるのみか國内の經濟には毫も困難を感ぜずして多々ますます興奮の色を呈したるが如き異常の事相として驚くに堪へたる其中にも最も外人の心情を動かして我榮譽を博し日本文明の名をしてますます世界に高からしめたるものは赤十字の社の事業なる可し蓋し外國人の中には耶蘇敎國外の文明は文明にして文明に非ずとの考を懷くもの少なからず彼等の眼を以て見れば日本の如きは素と是れ敎外の國にして其文明は眞成の文明に非ずとて之を擯斥したる其日本國に何ぞ圖らん意外にも世界博愛の主義に出でたる赤十字社の組織ありて其社員は人閒の生命を救助するを唯一の目的として親しく戰地に出入し苟も負傷者を見れば敵味方を問はず病院に收容して懇ろに治療を施し一點の遺憾なからしめたるの事實は世界の明に認むる所にして彼等も始めて日本の敎外國に非ざるを悟り大に感服の意を表するに至りし次第なり抑も日本にて赤十字社の發起は明治十年西南戰爭の時に故岩倉公等の贊成を得て兵士の負傷者は官賊に拘はらず一樣平等に救助するの目的を以て博愛社と名くる一社を組織し社員を戰地に出張せしめたるを事の始めとして爾來次第に組織を擴張し明治十九年に至り萬國赤十字同盟に加入することゝなりて社名を赤十字社と改めたるものなり同社は特に皇后陛下の恩顧を辱うし社中に篤志の人も多くしてますます社運の繁昌を致し現在の社員は全國を通じて十六萬人の多きに及べりと云ふ只平時に於て同社の事業として觀る可きものは病院を設け患者の治療するの一事にして大に内外人の注目を惹くの機會なかりしかば一般の外國人などは日本に赤十字社の設けあるやなしやも知らざる程の次第なりしに昨年日淸の平和端なく破れて戰爭の禍を見るに及び同社は非常の奮發にて多數の醫員看護人を戰地に出して其目的たる彼我負傷者の治療に勉強盡力したるは勿論、或は醫術の開けざる占領地の土人等が病に苦しむと聞けば遠路を厭はず往診して治療を吝まざる等、博愛滋仁の目的を實行するの一段に就ては社の全力を擧て遺憾なかりし其事實は同社の存在を世界に明にして隨て日本文明の光をしてますます燦然たらしめたるものなり左れば今回の戰爭に赤十字社の功勞は非常のものにして世人も亦その效能を認めて目的を贊助するに怠らざることなれば同社に於ても此機會にますます事業を擴張して將來大有爲の地を成さんこと我輩の希望する所なり