「・大に取る可し」

2015-12-26

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時事新報に掲載された「・大に取る可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

・大に取る可し

目下國事の急は單に軍備の擴張のみならず國家事業として國力を以て經營す可きもの甚だ多し歳入增加の止む可らざる所以にして我輩は此際大に取り大に散ずるの決斷を希望するものなり或は軍備擴張に必要なる增税さへも尚ほ國力に不相應なりとて反對の意見を懷くものもなきに非ず其反對には如何なる理由あるや知らざれども我輩の所見を以てすれば日本の國力は今の歳入の額に五割を增し尚進んで倍數に達するも綽々餘裕あるを信ずるものにして些々たる軍備擴張費の如き殆んど念頭にも掛けざるなり抑も一國の富を算するは容易の事に非ず經濟學者の説に據れば自から種々の計算法もあれども實際に精確の數を得るは困難にして或は日本の富は何十億なり否な何百億なりなど云ふも到底机上の論に過ぎざれば姑く擱き試に我國一年閒の所得を算するに先づ人口の上に就て云へば一人に付き平均五十圓の所得と見て甚だしき閒違ひはなかる可し今下女を雇ふに其給料は一月一圓にして食料は同じく三圓内外を要し之に歳事の心付などを加ふるときは下女の所得は一年閒に五十圓以上に達す可し況んや一人前の男子が一軒の家を持て妻子を養ふには是非とも年に二百圓以上の收入を要す可し例へば巡査の如き十圓の俸給を取るものとして年に百廿圓の收入なり一家を養ふに足らざるが如くなれども二季の被服費其他の給與を算するときは實際二百圓内外の收入ある其上に家の内君が朝夕の働きより裁縫洗濯等の勞費は少なくとも五六十圓に價す可し如何となれば若しも家人が是等の事に手を下さゞるときには他人を雇ふて同額の費用を拂はざるを得ざればなり假りに家内の數を五人として其一家五口を養ふには二百五十圓即ち一人に付き平均五十圓の收入を要するの實を見る可し或は田舍の地方などにては十錢の日傭にて屈強の百姓を雇ひ得る處もあるよしなれども是れは所謂農閒稼に雇はるゝものにして若しも一年三百六十日の閒、全く雇ひ切りとあれば之に應ずるものはなかる可し即ち斯る百姓とても自から耕し自から耘り又自から物を製する其勞費を算するときは少なくも百圓以上の收入は請合ひなり右の事實には閒違ひなくして日本人の所得を平均五十圓とすれば全國四千萬人の上に於ては毎年二十億圓の所得なり更に一歩を讓り極々内場に見積り平均三十圓とするも尚ほ十二億圓は確かなり更に國中の物産に就て年々

の産出額を見るに米は凡そ四千萬石にして一石九圓の相場とすれば三億六千萬圓、生絲は凡そ十五萬梱にして一梱五百圓とすれば七千五百萬圓にして此二品にて既に四億圓以上の金額に達せり其他茶と云ひ麥と云ひ鹽と云いひ鑛物と云ひ綿絲と云ひ織物と云ひ其金額は何れも少なからず又外國貿易は内國商賣の繁昌を證するものにして年々次第に發達し昨年は輸出入の總額二億圓に達して未曾有の盛況を唱へたるものが本年は昨今までにて既に三億圓の多きに及びたりと云ふ今後の發達想ひ見る可し況んや海關税の如き年を遂ふて收入を增すは勿論、汽車汽船の收入の如きも事業の發達と共にますます增加するの一方のみ是等の事實より計ふるときは我國の收入は年々非常のものにして富源の深き容易に測る可らず租税の負擔の如き物の數にも非ざるに然るに政府の歳入は八九千萬圓の閒にして然かも諸般の税率の如き二十餘年來著るしき變更なしと云ふ一國を維持して内を整へ外に對するに僅々八九千萬の金にて何事も意の如くならざるは分り切たることなれば大に歳入を增して大に取り大に散ず可し日本の國力を以てすれば今の歳入を倍するも綽々餘裕を存して毫も負擔の苦痛を感ぜざるは以上の事實に據りて我輩の慥に保證する所なり