「對韓貿易」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「對韓貿易」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

對韓貿易

眞先きに朝鮮の開港を促がし條約を結びたる者は日本にして地の相距る甚だ近く往來交通も便利にして其事情を審にするの點に於ては日本人の右に出づる者なかる可し左れば日韓の貿易は既に著しき發達を示す可き筈なるに實際に於ては殆ど進歩の徴を見ず明治十四年に於て我より彼に輸入したるもの百九十四萬餘圓、同十五年には百七十七萬餘圓、同十六年には二百二十四萬餘なりしに爾來頓に衰退して年々四五十萬圓の閒を往來し同二十六年に至るも僅かに百三十萬圓に過ぎざる其傍に於て朝鮮貿易に就ては後進生とも云ふ可き支那商人は次第に歩を進めて次第に商權を握り俗に所謂後の烏が先になりて我を凌ぐに至りしは日本商人の不面目と云ふ可し蓋し朝鮮の如き國に於ては政治上に勢力を有するに非ざれば安心して商賣に從事し難き事情もある可きに支那は兼てより之を屬邦視して其内治外交に干渉し自國商人を安心せしめて自から其羽翼を伸ばさしめたるの意味もある可し我商權の伸びざりしも故なきに非ざれども今や形勢一變して朝鮮の政治上に支那の權力は殆んど皆無となり日本は代て之を誘導するの大任を引き受け半嶋の朝野に日本人の勢力は固より前日の比に非ざるに然るに日韓の貿易は依然舊態を改めず商人は殆んど之を度外視するが如くにして戰爭前も今日も敢て異なる所あるを見ざるは遺憾と云ふ可し英國の東洋貿易を見るに政治上の勢力一歩を進むれば商權亦一歩を進め兩々相駢進するのみならず商人先づ進で政府の保護これに伴ふの趣さへなきにあらざるに我の朝鮮に對するや政治上の勢力は長足の進歩を爲したれども貿易は寸歩も發達の徴候を示さゞるは獨り政權を重んじて實益を輕んずるに由るか假令ひ政權を握るも實益を收めざれば其權力は半ば空權となる可し或は半島國の風雲は尚ほ穩かならずして今後の成行き測る可らざるものあれば商人も安心して大に乘り〓すを得ずとの説もあらんかなれども支那の商人は朝鮮に於ける支那の權力殆んど皆無に歸したるも戰雲の收まるや否や續々歸來して以前の商權を回復しつゝあるに政治上に於て支那に代りし日本の商人が尚ほ前途を氣遣ふて奮發するを得ずとは意氣地なき限りと云はざる可らず支那朝鮮は世界中最も抵抗少なくして遺利多き所なれば政治上に於て爭奪の中心と爲ると共に商賣上に於ても亦爭奪の中心となり恰も河川の水の回所に向て奔流し來るが如く利を爭ふ者は世界の各方面より集中して風波いよいよ激しかる可きは當然のこととなれば日本の商人にして所謂食はず貧落に安ずる覺悟ならば夫れまでなれども苟も共に利益を爭はんとならば一歩にても先きに風波の閒に漕ぎ出して勝負を決するの勇氣なかる可らず況して政治上の勢力も或る意味に於ては商賣上の勢力に伴ふの習にして商賣の王にして政治上の奴隸たる例はなきことなれば政治上の勢力に增長の憂あらば商人は尚ほ更ら奮發して商權を強め世閒より政權を張るの地歩を作らざる可らず方々以て朝鮮の貿易は一日も等閑に附す可らざるものと信ずるなり