「製鋼事業」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「製鋼事業」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

製鋼事業

國内にて製鋼の必要は今日に於て何人も異議なき所なれども着手の實際に就ては大に考ふ

る所なかる可らず聞く所に據れば政府にては製鋼所の費額を四五百萬圓を豫算し四年間經

續の事業として今度の議會に提出す可しと云へり計畫の詳細は知るを得ざれども我輩の所

見を以てすれば其事業は實際の必要にも拘はらず何を云ふにも始めての仕事にして半ば試

驗の爲めなれば最初より規模を大にせずして先づ事に着手しいよいよ實地の成蹟を得たる

上にて擴張を謀るこそ智者の事なる可し或は軍備獨立の一點よりして製造に要する鐵料ま

でも是非内國産に依らんとするの説あれども現在に於ては國内産鐵の額も實際の取調甚だ

不行屆にして果して製造に必要の供給を得るや否や分明ならず假令ひ産出の見込は確かな

りとするも之を採掘して用に供するまでには自から年月を要することにして製造の事業起

りて需用の增すに隨ひ自然の發達を待つの外なかる可し或はいよいよ産出の見込なしとす

るも事業は之が爲めに思ひ止まる可きに非ざれば内國産は最初より當にせず一切外國より

輸入するものとして着手せざる可らず又製造の伎倆は如何と云ふに學理上に於て製鋼の手

續は甚だ容易なるが如しと雖も其道の人の説を聞くに實際は頗る困難にして非常の經驗熟

練を要するものなるが故に技師と云ひ職工と云ひ今の日本人にては不安心なりと云へば最

初の間は是れ又外國人を雇ふて從事せしめざる可らず或は伊太利などの例の如く他國の會

社をして工塲を國内に設けしめ若干年の間は幾分の利子を保證し若しくは毎年必ず若干の

製品を注文するの約束を結び其工塲には勿論、自國の技師職工を入れて經驗熟練を得せし

め時機の熟するを待て一切の設置を其まゝ買収するの方法もなきに非ず實際に安全の策な

れども既に政府の計畫に於て自から設置と决したらば其方法も無用として鐵料は外國品を

仰ぎ技術は外國人を雇ふものを覺悟して着手す可し數年の後には日本人も經驗熟練を得て

好結果を収むること必ず疑ふ可らずとと雖も最初の着手は試驗の爲めにして其費用の如き

も試驗費に費すものと心得、規模を大にして始めより大鋼板を製出するが如き大仕掛は思

ひ止まり兎に角に鋼鐵を製し得れば足れりとして先づレールの製造等より始むること肝要

なり斯る趣向にして五六年間も經驗したらば實際の成蹟も分り収支の計算も立つことなら

んなれば其時に至り始めて計畫を大にして官業として行ふなり又は民業として着手せしむ

るなり事の利害を見て其宜しきに從ふ可し實際の必要とは云ひながら今日に於ては何人を

して局に當らしむるも眞實無妄の計算を得るは决して望む可らざる其事業に最初より大仕

掛に取掛るは事の順序を得たるものに非ざれば先づ其計畫を小にして事に着手するこそ得

策なる可しと我輩の認むる所なり