「伊藤總理の露國行」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「伊藤總理の露國行」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

伊藤總理の露國行

露帝ニコラス二世が父皇の位を襲ぎたるは一昨年の十一月なりしが本年の五月には愈よ其

即位式を行はるゝに付き我皇族よりは伏見宮殿下の參會あるべく又道路の風説によれば總

理伊藤氏も自から露京に入りて右の即位式を祝せんとすと云ふ已に獨逸皇帝の如きは親し

く駕を枉ぐ可しと云ひ傳ふる程なれば隣國の好として我皇族の參會は至極の御事ながら伊

藤氏參會の風説をして眞實ならしめば我輩は別して之を祝せんとするものなり抑も一昨年

來の戰爭は世界の耳目を驚かしたる不意の出來事にして歐洲外交社會の人が日本人の成功

を祝すると共に又その心術を揣摩臆測し戰勝の評判は恰も世説製造の機關と爲りて流言百

出甲是乙非遂に彼等をして判斷の明を失ふて日本の前途に疑懼を抱くに至らしめたり露佛

獨の三國が合縱同盟して遼東事件を提議したるも畢竟此疑懼誤解より生じたる結果なりと

云ふも不可なきが如し左れば今回我總理大臣にして露京に入ることあらば自ら他の親王皇

族が儀式一片に參同するものとは趣を異にして時に或は露廷の執政又は歐米諸國より來會

したる外交家に交際して往來懇話の機會も多からん其話頭轉じて日清談判の評論より遂に

は遼東事件に入るも自然の勢なれば伊藤氏は是等の好機會を利用して其腹心を吐露し日本

國民は必ずしも歐洲人の疑懼するが如き野心あるものに非ざるの事實を示し又先方の言ふ

所にも耳を傾けて其眞面目を明にしたらんには彼我の間に橫はる誤解は雲霧の晴るゝが如

くにして我外交の前途を圓滑ならしむるに少からざる利益ある可し是即ち我輩が國家の爲

めに伊藤大臣の露國行を賛成する所以なり又國家談を別にして更らに一歩を進め伊藤その

人の私を謀りても此行果して一身の大利益たるを知る可し凡そ一國の政治家として朝に在

るも野に在るも一代に重きを成さんとするものは必ず國家の大事に身を繋ぎ其人に非ざれ

ば其事行れずと云ふが如き地歩を占ること肝要なり譬へば李鴻章の支那に於けるや清廷腐

儒中の鏘々にして曲りながらにも文明國際法の概略を解するが故に支那の外交は恰も李の

爲めに專賣特許の姿を成し同僚の間には之を目するに老奸の名を以てして疾視する者少な

からずと雖も如何せん外國に關する大事に至ては不平ながらも老奸の助言を俟つこそ是非

なき次第なれ彼の日清談判の結果の如き老儒輩の眼には近時の秦檜を見ることならんなれ

ども秦檜遂に腰斬せられざるのみか其勢力舊に復して依然たり外交の關鍵を握りて身の重

きを成す者と云ふ可し事抦は異なれども伊藤氏は夙に支那の情俗に通ずるを以て名を成し

或は李鴻章と肝膽相照らすと稱せられ支那に對する外交の關鍵は殆んど伊藤の手中に存す

るが如くなるよりして遂に其人をして政治上に重きを爲さしむるの一助たりしは明白なる

次第にして此中の消息を最も能く解したるものは或は本人自身ならんか然るに今や支那は

已に外交上の勢力にあらず此腐大國に對する外交の得失は從前の價を減じたると同時に東

洋全面の治亂に拘はらず今後我國と相對して至大至密の關係あるものは特に露國にして其

國の情俗に通じ其交際を維持し大事に臨みて判斷を下すの力あるものは必ず政界に重きを

爲す可し前年支那の例に照たしても疑ふ可きに非ず而して今日の政治家にして露情に通達

すと稱する者は唯僅に榎本武揚氏西德次郎氏等二三あるのみにして寥々物足らざるが如し

此時に當り伊藤氏にして彼國に至り其政治家に交り其形勢を審にし其國民の意志を會得し

て歸來せば治にも亂にも外交上最大問題の發言權は自から其の手中に歸し其外交の利害論

は廣く内政の上にも影響を及ぼして内治外交共に氏の一言は最終の判决たるに至る可し政

治家として一身の功名は此以上にある可らず故に今回伊藤氏の露國行は國家の爲めにも本

人の身の爲めにも一擧兩全謀り得て至妙至巧なりと云ふ可し