「酒と酒精」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「酒と酒精」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

酒と酒精

酒税は國家重要の財源なれば大に其税を高むると共に又大に其業を保護す可しとは我輩の

所論にして衆議院にても亦深く此事に注意する所あり從來脱税の源として其取締に苦しみ

たる酒精の營業法を一層嚴重にして脱税者を防遏せんとの法律を提出したる由なるが我輩

の所見を以てすれば政府も議會も酒に對して施行せんとする營業課税の方法に就ては頗る

迂遠にして目的を達すること頗る困難なる可しと思はるゝ其理由を述べんに第一我國に於

ては酒と云へる文字の定義さへ未だ定まらずして課税の目的とするものは重に米より造り

たる清酒に在り故に當局者が法律税法を設くるにも皆この清酒の造石數と消費高を標準に

立つるより其結果として清酒釀造家の負擔はますます重きを致し營業はますます面倒と爲

りて苦情百出或は廢業す可しなど云ふものもなきに非ざれども日本人の消費する酒の高は

清酒家の廢業の爲めに減少す可きに非ず萬一税の過重なるが爲め全國の清酒家相團結して

殘らず其業を廃したればとて酒の消費は更らに減ぜざるのみか清酒に代る可き他の酒を製

造して一般の需要に應ずるに至るは請合なり左れば酒税の問題は表面甚だ困難なるが如く

なれども其實は困難ならずして之を取立つるに方法の宜しきを得るときは政府は酒造家の

苦情にも頓着せず清酒造石の減量にも驚かずして豫算通りの収額を得るに難からざる可し

本來酒税の目的は酒を造るものより取るに非ずして之を飮むものより取ることなれば其酒

の原料は米にても麥にても决して區別す可きに非ず苟も人を醉はしむるの分子即ちアルコ

ールを含む飮料ならんには一切之に課税して飮む人の口に入る前に當り納税の義務を果さ

しむること恰も無印紙の煙草を喫し得ざるが如くなすときは酒造家の苦情もなく又脱税取

締の困難も見ずして毎歳日本人が飮用する酒量に相當するの税金を収め得ること容易なる

可し然れども此趣向に從て税を課するには從來當局者が解釋したる酒の定義を擴めて酒と

は酒精即ちアルコールを含む一切の飮料を云ふものと爲さゞる可からず當局者の定義なり

と云ふを聞くに

酒とは米の麹にたねを加へ澱粉を糖化し之を偶發醗酵せしめて釀造したる澄明の酒精飮料

(清酒)にして其醗酵を完了したる液なり其色藁黄色にして味は辛烈なり必ず溷濁す可ら

ず其比重は〇、九八より〇九九度に居り越幾斯分とアルコールは一と四乃至五に比例する

ものとす

と云へり右の定義は專ら清酒のみを酒と爲したる解釋なれば我輩は寧ろ酒の意義を擴めて

酒とは酒精即ちアルコール若干分を含む一切の飮料液體を云ふ

と改正し其原料の種類及び醗酵、蒸溜、混成の方法は第二段の區別として課税の標準を定

むる時に之を類別せんと欲するものなり其理由如何と云ふに古來我國にては習慣の久しき

酒を造るに米より外の原料を採らざりしに依り酒とは即ち米の水なりとの漠然たる解釋に

過ぎざりしに近來化學の進歩に加ふるに外國より種々の酒類を輸入してより酒の定義は其

範圍を擴めて米の水など云ふ如き解釋は最早や通用す可からず苟も植物性の物體にして化

学上の作用に依り之を糖化し得るものは即ち酒の原料と爲る可きものにして之を製して或

は清酒と爲しビールと爲し又は燒酎酒精と爲すに手數と方法の區別こそあれ其酒たるに於

ては何れも同一なり左れば若しも政府が米穀製の酒に重税を課して其價を騰貴せしむると

きは飮酒家は他に飮料を求めて低價の額に醉を買はんとするは人情の免れざる所にして清

酒税の重きに從ひ種々の雜酒と混成酒とは市塲に其需用を增して政府の収入は減少すれど

も國民の醉心地に變りなきは實際に明白の事實なれば果して収税の目的を達せんとするに

は之を取締るに嚴密の手段を要するは勿論、課税の標準檢査の方法も從て改めざる可から

ず然るに今日政府の爲す所を見れば第一酒精と燒酎との區別は其含蓄する酒精分を量りて

之を定むるに非ず無色無臭なれば之を酒精とし些かにても色臭を帶れば燒酎と認むるが故

に實際は酒精にして却て燒酎より弱きものあれども税法に於ては之を問はず檢査官が之を

區別するには唯目と鼻とを以てするのみとは實に迂遠の沙汰ならずや酒類中の最も苛烈な

る燒酎と酒精との區別さへ既に斯くの如くなれば其他の酒類檢査の方法とても素より學理

に基きたる規則あるに非ず西洋各國にて酒を計るに温度の基礎を華氏の六十度と定め又ア

ルコールメートルを用ひて酒中に含蓄する酒精の量を計るものに比すれば無造作も亦甚し

と云ふ可し但し從來は酒の税甚だ輕くして隨て造酒家も米より外に其原料を求めざりしが

故に斯る無造作にても濟みたることなれども今や然らず一方には酒税を高めんとするに對

し他方には低價なる原料に依り輕便なる手段を以て種々の酒類を造るの道漸く發達せんと

するに至りては課税の標準も又其檢査の方法も之を一變すること目下の急務なりと云ふ可

し現に今日混成酒と稱するものゝ中には米穀以外の原料より造りたるものあり酒精燒酎の

類を他の液體に混じたるもあり含蓄する酒精分頗る苛烈にして水を交へざれば飮み難きも

のあり既に薩州邊にては甘藷より造りたる酒ありて本年の議會にも一問題と爲り又臺灣に

は砂糖より酒を製するの方法專ら行れ北海道には淋檎又は馬鈴薯より之を得るの工夫もあ

りと云ふ斯くの如き次第にて此儘に捨置くときは清酒税の高まるに隨ひ各種免税酒の製造

は各地に行はれて酒税の源を枯渇せしむるのみならず斯る強度の酒を飮むもの增加すると

きは人民の健康に害を及ぼすことも少なからざる故に政府は斷然税法を一新し酒精以下こ

れを含有する飮料液體には一定の檢査法を實行して釀造、混成、蒸溜等如何なる方法を以

て造るに論なく含有酒精の強弱に依り課税の標準を立てゝ米穀以外の製造酒と雖も一切免

税を許さゞるの法を定むること肝要なり若しも然らざるに於ては年を追ふに從ひ免税脱税

の造酒類に行はれて當局者を煩し清酒釀造家の苦情は絶ゆるの期なくして収税の目的も容

易に達せざるに至る可し或は斯くの如くするときは内地にて製するビール又は葡萄酒の如

き輸入酒と競爭の地位に立つものは如何す可きやとの説もあらんかなれども是れは當局者

に於て調査の上實際に斯る事情のものは特別に免税して可なり唯漫に名目を輸入酒に假り

て其實一種の混成酒を造るものゝ如きは是れぞ脱税の基なれば遠慮なく課税して然る可き

ものなり