「一種の鎖國説」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「一種の鎖國説」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

一種の鎖國説

近來新聞演説の慣用語として日本は東洋の覇主たらざる可らずとか或は東洋の商權を掌握

せざる可らずと云ふ言語ありて頻りに國民の雄圖壯心を代表するかの如く唱らるゝことあ

りと雖も我輩は之を以て國民の雄圖壯心を代表するに足らざるのみならず却て國民心性の

軟弱なるを意味するものと爲さゞるを得ざるなり抑も從來鎖國偏安の殘夢、猶ほ全く醒め

ずして唯國内の事のみ鞅掌して海外の事に一切關係せざるを以て主としたる時代に比すれ

ば一歩なりとも海外に踏み出して東洋の政權商權を掌握す可しと云ふは雄壯なる語に相違

なしと雖も何故に東洋西洋の間に漫に區別を立てゝ東洋にのみ隱居せんと欲するか國内に

のみ蟄居するは固より偏安姑息の甚だしきものなりと雖も今日の如く東洋西洋混蕩の時勢

に際して猶ほ海の遠近、東西によりて之を區分し東洋にのみ蟄居せんとするは等しく偏安

姑息にして鎖國思想を示めすものと云はざるを得ず東洋の覇權云々と云へば何か大層らし

く聞ゆるが如くして之を口にする論者も亦一廉の大言を吐きたるが如く思ふことなる可し

と雖も大言大に似て大ならず我輩は猶ほ世界に雄飛するの大望なくして偏安を守らんとす

る國民の小成心を代表するものとして甚だ不滿足に思ふ所なり右は東洋云々の語に含ま

るゝ國民志望の大小に就て立言したるものなれども一歩を退きて東洋の政權商權を掌握す

るを可なりとするも果して實際に於て爲し得べきことなるや否やを問はざる可らず東洋と

云ひ西洋と云ふも今日に於ては唯地理上の區別に過ず政治、貿易の上に於ては東西一國、

五洲一家のみ、日本海軍が鴨緑江外に大勝利を博すれば歐米の耳目悉く之に集注して爲め

に世界に海軍擴張の聲を高からしめ伊太利が軍備の負擔に勞して破産せんとするや三國同

盟は離索せんとして露國の威權東洋に伸ぶ東洋西洋は事實に於ては一にして二に非ず苟も

東洋に威權を張らんと欲せば世界に於て威權を張らざる可らず未だ世界に覇を稱する能は

ずして先づ東洋の覇權を掌握す可しと云ふは恰も未だ大人中の首領たる能はずして先づ小

兒の大將たらんと云ふが如し大人と小兒と全く國を異にして交通せざる時ならば此事或は

有り得べし大人と云はず小兒と云はず齊しく集りて國を爲す時に當て猶ほ此事を夢みるは

如何にも時勢の變に氣附かざる迂濶の見と稱せざるを得ず三浦公使が京城の權を日本に収

むれば日本に位地安全なる可しと信じて彼の事變に加はりしが如きも畢竟東洋の覇權云々

の見に拘泥して東洋限りにて朝鮮問題を處置し得べしと信じたる結果に外ならず而して其

結果は覿面、世界の勢力をして日本に反抗せしめ朝鮮に於ける日本の地位をして退歩せし

むるに終りしを見れば東洋の覇權云々の説は井蛙の管見に過ぎずして眞實、東洋の覇權を

掌握せんと欲せば先づ世界の覇權を掌握せざる可らざるものなるを見る可し況んや之に加

味するに人種の區別、文明の差異を以てして強ひて東西を區別せんとする者に至ては自か

ら一種の鎖國説にして濟度しがたき俗論と云はざるを得ず我輩は日本國民が假にも東洋

云々の説を口にして自ら〓安せんとすることなく大膽に構へて世界の舞臺に〓〓せんとす

る志望を有せんことを望むものなり