「日本銀行所有の黄金」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「日本銀行所有の黄金」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

日本銀行所有の黄金

日本銀行は政府と預合勘定に由り英蘭銀行に預入れたる英貨を併せ約八千二百萬圓の金貨及び金塊を所有し其内八千萬圓餘は兌換銀行券の引換準備に充るものゝ如し而して此八千餘萬の金は準備總額一億五百萬圓の内殆んど八割に當り銀は殘額僅に二割を占むるに過ぎず本來兌換銀行券は銀に對して發行するものなれば之が引換準備に銀以外の物品を所有すること既に異數なるに其銀以外のもの即ち金と名くる物品が全額の八割を占むるとはますます以て異數と爲さゞるを得ず聞く英蘭銀行に於ては其發行金券の準備として金の四分の一まで銀を所有し得ると云ふ我邦に於てもそれ位までを極度として準備中に金の混有を許すも敢て差支なかる可しと雖も今日の實際は然らず銀の方却て少なくして僅々金の四分の一に過ぎずとは唯不思議と云ふ可きのみ日清戰爭中兌換準備の漸く欠乏を告ぐるに方り日本銀行は金價の騰貴したるを幸に所有金塊の相塲を引上げて準備の潤澤を装ひその得たる利益を以て株金增募の資に充てたる事臨機の處置とは云ひながら我輩の感服せざる所にして斯の如き事を正當と爲さば信用薄弱なる小銀行が自己の損失を蔽はん爲め恣に其所有財産の價格を變動して以て世人を欺くも之を咎むるの辭に窮す可し然れども是れは別問題として深く茲に論究せず凡そ金融の機軸と稱する日本銀行たる者が價の變動最も定まりなき物貨即ち黄金を斯くまで多額に所有する其危險は頗る盈る可し今若し金價漸く不景氣を催ほして假りに一割の下落を來したりとせんに八千二百萬の金は下て七千四百萬となり八百餘萬の積立金を擧げて之を補ふの止むべからざるに至る可し一割の下落にして既に然り試に極端の塲合を想像して米國デモクラット黨の意見通り金一銀十六の比價を實際に出現することともならば日本銀行の全資力を盡して消失し我經濟社會は暗澹たる光景に陥らんのみ是れは決して架空の説にあらず實際にあり得べき事として當路者の猛省を要する所なり斯る睹易き數理は日本銀行なる者に於て知らざる理なし其これを知るは我輩の〓に推察する所なるに尚ほ恬然として〓めざるものは是れぞ所謂銀行と政府と親類の交際より生じたる結果と云はざるを得ず政府が日本銀行を超して之に紙幣發行の特權を與へ其準備として金銀兩者の混有を許す中にも兎角金を愛して義理にも之を所有せしめんとする所以は戰備資として金の貯藏を要すると又一方には早晩我邦を金貨國たらしめんとする一種の空想より生じたる結果なりと斷定して間違なかる可し今の時勢に於て日本を金貨國にするの説は我輩の斷じて同意せざる所なれ共金銀價の變動定まりなき今日幣制の上より多少の金を國庫に秘藏するは自から其要もある可し又戰備資として金を用意するも至極尤もなる次第にして是亦異議なしと雖も凡そ是等の秘藏用意は總て國家の事にして區々〓る銀行などの預り知る可き限りに非ず如何に日本銀行が政府の眷顧〓〓〓と云ふも株式組織の〓〓なり〓〓〓〓に向て國家の爲めに自家の利益を〓〓にし發行銀券の準備たる銀を少なくして貨物同樣の金を多くし以て其營業上に大危險を冒せと強ゆるの理は萬々ある可らず我輩の固く執て不可とする所なり然らば則ち之を如何せんと云ふに政府は自から要する所の黄金の額を定め之に相當する丈けの銀を償金中より買収して之を日本銀行に授け其代りとして銀行現有の金を引揚げて可なり斯くすれば銀行は時價不定の黄金を抱て時として利し時として損するが如き冒險の苦を免かれ政府も亦萬一に備ふる基金を得て大安心の塲合に至る可し事甚だ簡單なれども或は期る大金を徒に國庫中に閑却せしむるは經濟の法に非ずとの説もあらんか、然らば則ち時宜事情を視察し其幾分を橫濱正金銀行に貸付けて運用を許すこと前年松方大臣が為替資金を給付したるが如くなすも自から妙ならん其方法は幾樣にも決して窮することなかる可し要は惟國家の都合と銀行の業務とを混同して日本銀行の爲めに危險なる金を所有せしめ其基礎を危からしむるを以て不可と為すのみ