「製艦の方針」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「製艦の方針」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

軍艦は其種類に隨ておのおの用途を異にし彼此大小相兼ぬる能はざるは前に述べたる如し今、大艦小艦の利不利の點を比較するに大艦は攻防の勢力共に優逸なる其上に石炭彈藥等の搭載量多きを以て能く折衝禦侮の任を盡し又戰闘久しきに堪ふるの利uあり即ち巡洋艦を以て主戰艦に對し小巡洋艦砲艦の類を以て装甲巡洋艦に對すれば到底匹敵す可らざるは一般の定則として不可なき所なれども其不利の點を云へば大艦は割合に吃水の深きが故に海上運動の區域自から限あり現に前年英國の艦隊が埃及遠征の際、新造の主戰艦は積量の過大なるが爲にアレキサンドリアの港内に入るを得ず遠く沖合に浮遊して攻撃の不便を感じたるの實例あるに反して小艦には沿岸到處の港灣に出入して進退自在なるの利uあり歐洲列國が支那の長江又は其北方諸港警備の爲めに派遣する砲艦は殊に吃水の淺きものを撰ぶ如き即ち其適例なり又艦體の面積廣きに瞻て敵の砲弾に中り易きは無論、如何なる堅大艦にても水雷もしくは撞頭に衝撃せらるゝ塲合には沈沒の危險は装甲皆無の小艦と毫も異なることなし殊に經費の點に於ては同一の金額を以て巨大の軍艦を製造するときは隨て隻數を減ぜざる可らざるは當然の數にして然も戰闘又は變災の爲に其一體を失ふも國家の爲には非常の損失たるを免る可らず先年英國が地中海に於て主戰艦ヴヰクトリア號(一萬二千噸)を沈沒せしめたるは我伊豫沖に於て彼の水雷砲艦千嶋(七百五十噸)を失ひたるに比して幾層倍の損害なりしかは之を知るに難からざる可し大小艦を比較して其利不利の點は大凡そ右の如しと雖も彼の主戰艦なる者は艦隊の躯幹として攻防の首力たる可きものにして海外の諸國にて海運の勢力を比較するには必ず先づ此種の軍艦を計ふるの常なり左れば我海軍擴張の目的にして東洋の海上權を占有するを期する上からは主として堅牢巨大なる主戰艦を充分に備るの必要を見る可し日本の海軍は外交の平均を保ち商賣貿易を保護するが爲めにして他國侵略の如き敢てせざる所なれども萬一有事の塲合を想像すれば自から他の勢力に對して優勢を占むるの實を備へざるを得ず黄海の戰爭に我松嶋以下の五艦は彼の定遠鎭遠の二艦を砲撃して百方これを苦しめたれども戰闘數時間の後、非常の損傷を與へながら尚ほ敵艦をして遁走せしめたるは畢竟我に主戰艦なきが爲めに敵の一發に艦腹を貫かるゝの危險を慮りて近接するの機會を得ざりしが爲めに外ならず以て戰闘に主戰艦の缺く可らざるを見る可し扨今の所謂一等主戰艦なるものは凡そ一萬噸より一萬二三千噸までの間にして其噸數の大なるに隨て製造費の揄チする割合は左の如し

艦名 進水年 噸數 製造價格(兵器費を除く)〓

センチュリアン 一八九二 一〇、五〇〇 六〇八、〇九八

レノーン 一八九五 一二、三五〇 六九六、四二五

ローヤルソーブルリーン 一八九一 一四、一五〇 八二四、五八三

マゼスチック 一八九五 一四、九〇〇 九一〇、六三一

〓〓〓〓〓 一八九〇 一〇、六〇〇 七六九、四九〇

〓〓ニユズ 一八九一 一一、〇〇〇 六九一、二六七

〓〓スー 一八九四 一二、〇〇八 一、〇七〇、〇九八

〓〓〓ン 一八九一 九、四七六 七七二、九九五

セントポール 一八九五 一〇、九六〇 一、〇九八、〇〇〇

〓〓〓スウヰヤ〓〓リヤ 一八九二 一二、四八〇 未〓

軍艦の製造に就ては實際の効力と費用の經濟とを酌量すべきこと勿論なりとして扨現に英國より今回派遣の噂あるレノーン號の如きは一萬二千三百余噸又前號に記したるスエス運河の通過を一要件として本年新造の主戰艦五隻はおのおの一萬二千九百噸のものなりと云へば之に對して優勢を占むる造船計畫は固より必要なれども海戰の勝敗は常に艦數の多少に由て決するの事實は古來の經驗に證する所にして戰術の上より觀察するも敵の艦隊の一部に對して迅速に我優勢の艦隊を集中し衆を以て寡を制するの利uは勿論、一旦彼我の本艦隊が戰を交へたる上は更らに新鮮の豫備隊を差向け得るものゝ勝利に歸するは一般の定説なれば我輩は寧ろ一隻にても二隻にても有力なる艦數の多からんことを望むのみ然らば其噸數の程度は如何と云ふに兩々相對するときは一萬噸もしくは一萬二三千噸のものは一萬五千噸のものに敵せざるは勿論なれども今日の實際に一萬二三千噸以上の軍艦はスエス運河を通過すること容易ならざるが故に歐洲諸國より東洋に派遣する艦隊其以下のものと見て差支なかる可し且つ又一萬噸以上の軍艦は噸數及び製造費の揄チする割合に勢力を揩キものに非ざるは疑ふ可らざる事實なれば我輩は實際の効力と製造費の經濟とよりして主戰艦の製造には差當り先づ一萬二三千噸を程度として成る可く艦數を多くするを以て目下の至計なる可しと信ずる者なり