「宮内大臣論の處分」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「宮内大臣論の處分」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

地方の一小雑誌が一片の宮内官吏攻撃論を掲げて府下の一新聞が之を轉載せしより思ひ掛けなき騒動を引起し政府は右新聞雑誌を處分したれども余波未だ收まらず物論尚ほ喧しきが如し初め之を雑誌に掲載せしときは何人も平氣にして當局者も亦尋常一樣の事として看過したるが如くなりしに何故にや其後に至りて俄に風光を改め遂には閣議にまで上りて之が爲めに却て火の手を熾ならしめたるこそ不審なる次第なれ宮内官吏の苦情は當熱なり攻撃されて痛を感ずれば其攻撃の事實なると否とに拘はらず相手を處分して以て身の潔白を表したきは人情の常なる可し又反對派新聞の事を大にして政府に迫るも怪むに足らず斯る事件こそ當局者を苦むるに屈強の機會又口實なればなり左れば其苦情も議論も深く意に介するに足らず假令ひ宮内官吏より何か請求する所あるも處分す可きものならば政府に於て處分す可し敢て他の容喙を煩はさず新聞の記事果して無根ならば當局たる宮内官吏の随意に取消さしむ可きのみとて特に之に取合はずして政府は政府の信ずる所を斷行したらんには波瀾も今日の如くならずして無事に治まりしことならんに事こゝに出でず政府自から動搖して恰も自から弱味を示し却て議論の火の手を熾にして遂に発行禁止停止の止むを得ざるに至りしは政府自から求めたるものと云ふ可きのみ新聞雑誌の發行禁止停止は是までの政府も行ひ來りし所にして敢て珍らしからざれども此時此際之を行ふは現政府に取りて自から大事件なりとも云ふ可き其次第は新政府は其組織成るの當時に於て言論の自由云々を約したり盖し發行停止の如きは之を全廢せんとの意味にして反對黨も兼て自から行はんと欲して能はざりし所なれば是れには一言の〓を云ふ能はず進歩黨は揚々として吾々の素願は現政府に依て達せらる可しとて世間に誇り以て政府を〓〓するのみ大理由と爲せしに今や政府は恰も周圍の事情に迫られて其理由を取消したり自から自家の信用を減ずること大ならざるを得ず此勢に乗じて反對黨は思ふ壺に嵌まりしとて拍手相慶すると同時に進歩黨は顔色を失ひ又竊に現政府に心を寄せし中立者も自から二の足を踏み〓て本年の議會政略にも多少の困難を咸ずることなしと云ふ可らず政府の爲めには大なる失策と云ふ可し政府の失策は尚ほ可なり假令ひ之が爲めに波瀾を生ずることあるも國家全體の上より云へば一小〓事に過ぎざれども爰に無限の〓は長多くも帝室を政治の論爭に巻込まんとするの一事なり彼の新聞雑誌が宮内官吏の非行を論議したるは果して或る當〓官人の〓〓に出でたるや否やは我輩の知る所には非ざれども一〓の論者が此論説を以て奇貨居く可しと爲し公に不敬云々の論を用ひて處分を政府に迫利子は實に〓〓上の〓〓より出でたるものと推測せざるを得ず彼も論文を〓するに只宮内官吏の不コを責めたる〓〓〓〓〓〓〓〓及ぼすの〓〓〓〓〓なり或は〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓は政府〓〓〓〓の恐れあり〓〓はんが〓〓〓〓〓〓と宮内〓〓の〓〓は自から〓〓〓〓〓は〓〓にして犯す可らずと雖も宮内官吏は然らざること勿論なり若しも陛下の信任し賜ふ宮内官吏のぎょうを議するは聖コを議し奉るに同じとならば陛下の信任し玉ふ内閣員其他の官吏の非行を擧ぐるも恐れ多き次第にして陛下の裁可し玉ひたる法律勅令を是非するも亦不忠と云はざる可らず彼の新聞雑誌に列記したる非行なるものは恐くは事實に非ずして虚傳なる可し然れども今後斯の如き非行を實際に犯すもの萬なしと云ふ可らず其塲合に於て所謂君側を清むるの誠意を以て其非行を議するものあらば之を不忠と云ふ可き乎日本國民は都て忠義の化身なり帝室を累はし奉らんと欲するものは一人もある可らず宮内官吏が日夜奉公して帝室の尊榮を祈り奉るも新聞雑誌が官吏の非行と認むる所のものを論難して陛下の盛コを光さんとするも其心は一のみ忠義に厚薄はある可らず左れば彼の記事の如き果して無根の罵詈讒謗ならんには其筆鋒の達する所は單に宮内官吏に止まりて其以上に超えざるが故に靜に之を取消さしめ或は諄々其無實を辯じ又或は其立言に讒謗の罪ありて訴へられなば律に照らし之を罰して事足る可きに然るに豫て現政府を悦ばざるものは以て好機乗ず可しと爲し其聲を大にして漫に大不敬などの語を弄び獨り忠義顔して他を罵り政府に處分を迫りし其目的の所在は問はずして明なり又世間に傳ふる所に據れば宮内官吏は彼の文章を以て不忠の文字と爲し政府に向て行政處分の斷行を促がし暗々裏に聖斷をも仰ぎ奉るに至らんとの意向を仄に示したりと云ふ果して然らんには一片の宮内大臣論は一方に於ては宮内省と内閣との政論となり他の一方に於ては政黨擠排の具と爲りしものにして即ち帝室を政治の風浪中に巻き込まんとするものなり我輩は彼の論文の聖コを汚し奉らんことを恐るゝよりも寧ろ其餘波たる爭論の筆舌こそ忌まはしきものなれとて深く之を憂ふるものなり