「國民の光榮」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「國民の光榮」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

國民の光榮

今回政府は大葬費として七十萬圓を國會に請求し議會は滿場一致、可決したるに付ては天皇陛下にも御裁可遊ばされ去る二十四日官報號外を以て公布せれたり即ち國民は皇太后陛下御葬儀の御費用を負擔するの光榮を得たるものにして滿足至極と申すの外ある可らず元來皇太后陛下は國民の母とも申し奉る可き御方にして其御不幸は一同の愁傷に堪へざる所なれども同時に帝室御大葬の御方に渡せらるれば其御葬儀は一切帝室に於て行はせらる可き筈にして又その御費用の如き假令ひ何萬の巨額に上るも帝室に於て御不自由在らせられざるは申すまでもなき御事なれば吾々國民は只仰で哀悼の意を表し奉るのみにして御費用を獻上するの榮譽を得べしとは實に望外の事なり現に大使喪以下事務官の任命も閣令を以てせずして宮内省令を以て發布せられたるは即ち今回の御大葬は帝室の大典、國民の直接に與り奉る可き筋のものに非ずとの御趣意を明にせられたるものにして我帝室は固より外國の例を以て推し奉る可きに非ざれども獨逸の帝室にては斯る場合に國費の負擔を容さずと云ふ左れば假令ひ國民が國庫の費用を以て大葬を行はせらんことを願ひ奉るも萬一帝室に於て臣民の眞情は深く嘉する所なるも帝室の大典は帝室長を以て行ふ可しと仰せらるゝこともあらば何共申上ぐ可き言葉なく只恐縮するの外ある可らず特に議會なるものは其性質に於て甚だ殺風景にして往々物論を生ずるのみならず國費即ち租税の性質を解剖すれば亦必ずしも神聖のものとは云ふ可らず然るに今神聖なる大典を擧げさせらるゝに當り其御費用の負擔を直接に國民に許させ給ふは即ち我帝室が下民の衷情を察し給ふこと甚だ深きを示させらるゝ所以にして恰も父母が子供の心中を察して多少の無理を容るゝに異ならず感激に堪へざる次第にして臣民が帝室の尊榮を祈り奉るの忠情もますます厚きを加へざるを得ず若しも陋を得て蜀を望めば既に大葬費の獻上をさせ給ふ上は大葬の御事務をも併せて國民の代表者たる内閣に御委任在せられんことこそ願はしき次第にして内閣員に於ても恐らくは宮内官吏に向て其希望を述べたることならん宮内官吏も亦其意を察したることならんなれども何分にも事は帝室の大典にして而して冀ふ可きに非ず遂に御意を空しうしたるは餘儀なき次第にして其御費用を負擔するを得たるの一事のみにても國民の光榮は既に甚だ大なれば以て滿足せざる可らず斯くの如し〓〓〓は御寬大に選考せられて何事に付ても國民の希望〓〓〓〓〓せられ國民は〓〓〓〓〓の〓に〓〓〓〓〓の〓〓〓〓れ〓〓〓〓〓〓〓〓〓ても心の底より喜〓〓〓〓〓〓〓を以て〓〓〓〓〓は我輩〓〓ても記したる〓〓我帝室に於ては別に帝室財産など御所望遊ばさるゝに及ばず御入用の都度々々國民に奉納を仰付られて然る可き御儀なる可し大葬費奉納の光榮を喜ぶの餘り敢て一言するものなり