「船員平素の訓練大切なり」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「船員平素の訓練大切なり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

船員平素の訓練大切なり

航海の繁昌に隨ひ船舶に衝突難破の出來事は自然に多からざるを得ず左れば政府に於ても

船舶檢査の手續を密にするは勿論、衝突の豫防法、船燈信號救命具の規定に至るまで注意

到らざる所なしと雖も既に不慮の變に際して避難の手段を盡し成る可く災を小にするは船

長を始め乘組員の責任にして平素より心掛く可き所なり近來も内海にて衝突の爲めに船客

の生命を失ひたるもの少なからず素より不慮の出來事にして船員の怠慢に歸す可らざるは

勿論なりと雖も凡そ斯る塲合に際して平素より練習して一定の規律に隨ひ運動するの用意

あるときは幾分か災を小にするの利益ある可し抑も旅客汽船には其噸數に應じ或る容積の

短艇及び其他の救命具を備ふ可き規定にして其數は旅客の定員を救ふに差支なき筈のもの

なり去れば實際に短艇の數に不足あるか或は其數は欠る所なきも定員外の旅客を乘込まし

むるが如きは是れぞ法律を犯したるものにして沙汰の限りと云ふの外なけれども取締法の

嚴密なる今日に於ては斯る犯則の事實は實際に稀れなる可しとして我輩の殊に望む所は船

員たるものが平素の練習に心掛るの一事なり衝突難破の塲合には直に短艇を卸して先づ郵

便物等貴重の書類及び婦人老若を之に移し次に普通の船客を載せ最後に乘組員に及ぶの順

序は一般の常法にして何人も心得る所なれども危急に際して一歩も早く逃れんとするは普

通の人情のみならず旅客の多數は何れ海上の事に不案内の輩なれば吾先きに短艇を爭ふて

之に乘移り却て沈沒の患を招くことなきに非ず船長たるものは斯る塲合には非常の手段を

執り命令に從はざるものは直に之を處分して多數の人命を救ふの决斷は實際に許さるゝ所

なれども若しも船員に平素よりの心掛なく云々の船艇には云々の旅客を載せ云々の船員に

て之を〓〓する等、豫め規律を定めて即時に之を行ひ得るの練習を欠き船員先づ自から狼

狽して自から免かれんとすることもあらんには滿船の旅客は恰も將校を失ひたる弱卒同様

にして短艇を始め救命の具は備はりながら非常の不幸を見るに至る可し又短艇は其數を備

へて正しく相應の位置に在りと雖も平素の練習行屆かずして之を取卸すに手間取ることな

どもあらんには瞬間一髪の機に過くるゝこともなきを得ず要するに平素の訓練大切にして

其訓練は何れの船舶にても注意す可きことながら商船の如きは自から軍艦と異にして或は

事を輕視するの傾なきに非ず殊に内海附近を航行する船舶などは恰も自家の門内を往復す

るの思を爲して自から其邊の注意に疎なるの事實はなきや甚だ掛念に堪へざる次第なれば

ゆめゆめ等閑に付せずして平素の〓〓に心掛ること大切なる可し

本來我内海は島嶼の起伏と云ひ潮流の工合と云ひ航行に最も難儀の塲所にして前年の千嶋

艦の如きを始めとして衝突の災に罹りたる船舶甚だ少なからず衝突豫防を〓〓の規定はあ

れども何れも一般の海上に適用するの〓にして特に内海に限りたる取締法を見ず我海上〓

の〓〓〓こそあれば我輩が前年曾て論じたる如く專門〓〓〓〓〓て内海航行の〓〓を〓く

ること必要なる可し〓ながら一言するものなり