「十把一束」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「十把一束」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

十把一束

十把一束

今度の議會に政府より提出したる議案には感服す可らざるもの多き中にも生絲直輸出奬勵

法、製茶輸出助成案、重要輸出品同業組合法、産業組合法等の如き議案は十把一束いづれ

も狂愚案たるを免かれざるものなり其細目に就ては我輩の別に論じたる所あれば爰に反覆

するの必要なしと雖も單に理論のみならず年來の經驗に於ても充分に利害の明白なる斯る

法案を今更ら提出とは何事ぞや蠶絲の保護組合の如き從來幾回か試みて幾回か失敗したる

は實際の事實にして區々たる人爲の保護干渉は只自然の發達を妨ぐるの害あるのみ往年蠶

卵紙の輸出を企てながら其價を騰貴せしめんとて多數の種紙を燒棄てたるなどの奇談は今

に笑柄に供せらるゝ其反對に開國當初の有樣を見れば例へば英佛の聯合軍が支那攻撃の時、

軍馬の飼料として我國より糠を買入れたるに我商人は糠の中に土を混じて賣渡したること

あり或は生絲の梱に烟管の古雁首などを入れて重量を增し又何かの折、大葱を輸出したる

時に食用に供す可らざる類似の草の根を鹽に漬けて賣付けたることなどもありしかども今

日に至りては頼まれても斯る不正の手段を試みるものはある可らず即ち自然の發達にして

其發達は銘々自家の利害に訴へて自から進むに外ならず明白の成行にして苟も普通の考あ

るものならんには解せざることはなき筈なるに政府が今更ら斯る愚案の提出とは其愚に驚

かざるを得ず我輩の捧腹に堪へざる所なれども扨實際に政府の輩とても决して斯くまでの

愚物に非ざる可し然るに愚物に非ざる當局者か斯る擧動は如何なる次第なりやと云ふ世間

には自から商賣實業の實際に迂闊にてありながら精神一偏、坐上の空論を以て漫に奬勵保

護の必要を説く者なきに非ず其理由は固より聞くに足らざれども盲目千人又千人の世の中

には自から其空論を盲信する者少なからずして議員の中などにも是種の論勢頗る盛なるが

如くなるにぞ斯る愚案を提出して衆愚輩の心に投じたらば議塲の成行も妙ならんとて專ら

議會操從の下心に出でたることならん故に當局者の考にては自ら議案を提出しながら心の

中には内々その否决を祈ることならんなれども衆愚の論勢は恐る可きものにして既に生絲

直輸出案の如きは昨日議决したり此上その他の法案も一切决したらば政府は如何にせんと

する積りなるや議會の操從も政府維持の手段としては自から必要ならんなれども實際に關

係の少なからざる民業の實利害を玩んで其手段に供せんとするに至りては呆れ果てたる始

末なりと云ふ可し左れば議員の中にても政府に味方して眞實忠義を盡さんとするものはよ

くよく此邊の内情を察して殘りの議案は之を否决するか若しくは握潰して埋沒せしむるこ

そ〓〓〓の心を得たるものにして又實際に後を善くするの方便なれ我輩の餘所ながら勸告

する所なれども左るにても政府が自から愚案と知りつゝ或る手段の爲めに斯る法案を提出

したるは畢竟民業の實利害を輕視した〓〓〓〓にして斷じて許す可らず我輩は國民と共に

責任の所在を糺さんとするものなり

製茶販路擴張費の補助

近來我製茶の海外に於ける賣行兎角面白からず販路は常に外國製茶の爲めに奪はれて直輸

出も亦一向發達せず輸出額の過半は外國商人の手を經るの有樣なるより政府は何卒この衰

勢を恢復し製茶の販路を擴張すると共に其直輸出をも奬勵せんとの主旨にて販路擴張費の

補助として明治三十年より向七ケ年間毎年七萬圓を茶業組合に下付する事に一决し既に其

議案を衆議院に提出したり此は茶業組合の熱心に主張せる所にして保護干陟を以て能事と

する政府が之を容れたる亦怪しむに足らずと雖も此の如き費用を投じて果して製茶の販路

を擴張するを得るや甚だ疑はしき所なり元來我製茶が近頃に至りて販路を失ふに至れるは

全く印度錫蘭地方に茶業の著しく發達したるを第一の原因として又我内地にも諸方に工業

興りて隨て職工の賃銀を高くし又隨て薪炭類の價も騰貴して茶の生産費を著しく增加した

るが爲めなり印度錫蘭の製茶が品質好良なるに拘はらず其價の低廉なるは全く該地方の気

候地味の然らしむる所にして其始めて英吉利に輸出せらるゝや忽ち支那茶と競爭して勝を

制し今や米國に販路を擴張して漸次聲價を得るに至りしと云ふも偶然に非ざるなり我邦に

於ては向後工業の進歩と共に賃銀は騰貴して薪炭の供給も自から欠乏せざるを得ず從て製

茶業も愈々海外の同業に對して競爭の不如意なるは大勢の命ずる所なり然るに今些少の販

路擴張費を投じて何か爲す所あらんとするが如き畢竟小兒の戯にあらざれば彼の所謂熱心

家の狂夢に過ぎず現に今日遠州其他二三の地方を除いて製茶業に見るべきものなきは全く

他の事業の起ると共に勞力並に原料の供給に不足を告げ茶業を〓むの不利なるより資本を

他の有利なる事業に移すが爲めにして既に遠州等に於ても近來製紙其他の事業起りて薪炭

の價騰貴し茶業の収利從前の如くならずと云ふに非ずや販路擴張費補助の如き小策を以て

此大勢に抗せんとするは一局部の熱心に驅られて全體の經濟を忘れ有爲の國財を無利に費

すのみならず尚ほ進んで他の有利なる事業の發達を妨ぐるに終る可きものなり茶業組合の

考案に販路擴張費を以て或は海外の名所舊跡諸人群集の塲所に茶屋を開き外國の新聞雜誌

に廣告し又演説を試み或は涼爐急須引茶煎茶の茶碗等一切茶器の標本を各地に配布して日

本茶の縁を結び或は露西亞加奈陀印度錫蘭地方に視察員を派遣して篤と實地を取調べると

云ふが如き小商人の事にして一塲の俗案に過ぎず斯る淺ましき思付きを以て今日世界の市

塲に日本茶と印度錫蘭茶と相對して其競爭の勢を左右せんと欲するか我輩は唯その愚狂に

驚くのみ現に明治二十二年茶業組合中央會は製茶の直輸出を奬勵するの主旨を以て政府に

本業の保護を懇請し續て日本製茶會社を設立し政府は該社へ二十萬圓の保護金を下附した

るも該社は實歴に乏しく種々の障碍に遭遇し遂に右保護金を返納して會社を解散するの不

幸に陥りたるに非ずや我製茶の輸出が居留地外商の專業に歸し隨て我製茶業者と海外消費

者との關係を隔絶し其嗜好趣味等を知るを得ずして市塲常に不如意なるは我輩の夙に認む

る所なり此種の不如意を意の如くせんとならば自ら他に方法もある可し保護干陟に依て事

を成さんとするが如きは斷じて取らざる所なり