「領事の選任に就て」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「領事の選任に就て」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

領事の選任に就て

領事の選任に就て

我直輸出入の業を奬勵して外國貿易擴張の基礎を開く可しとは近來世人の頻りに唱ふる所

にして農商務省が今度の議會に生絲直輸出奬勵を始めとして同樣の諸法案を提出したるも

全く右の目的を達せんとの主旨に出でたるものなる可し然れども是等の諸法案は到底貿易

を擴張するの効なきのみならず却て其妨害たる可きは我輩が既に論述したるが如くにして

自から他に相當の手段を施して貿易擴張の計を講ぜざる可らず竊に案ずるに領事の選任法

を改良し有爲の人材を擧げて之に任用するが如きは今日の時勢に照して最も急務なるが如

し元來領事は通商貿易に關する利益を保護奬勵せんが爲に外國に駐在するものにして駐在

國の商况を始めとし輸出入品需要供給の關係を調査し我商品に對して外國の消費者は如何

なる評判を爲すや又外國市塲に於て我商品と競爭する物品は如何なるものなるや又外國消

費者の嗜好趣味は如何なる邊に在るやを觀察し時を移さず詳に之を本國に報告して當局者

の注意を促がし併せて當業者を指導するが如き任務の最も重大なるものなり其任務の重き

こと此くの如し之を勤ると怠るとは直に日本商工業の休戚に關することなるに從來幾多の

領事より報告として寄する所の來書を見れば實地の商工上に價あるものは甚だ稀にして多

くは外國新聞雜誌の飜譯に過ぎず内國人の夙に心得居る所のことなれば之に由りて當業者

を利するが如き固より望む可らざるのみならず時として輕卒に此種の報告を誤解して商機

を失するの恐なしとも限らず現に昨年二三月の頃生絲の價一時に下落し多數の在荷堆積し

て賣込問屋等は非常の困難に陥りたるに此前我在外の領事中生絲貿易の將來を豫察して當

業者を戒めたる者ありやと云ふに寧ろ反對に生絲の賣行好况なる旨を報告したる等の奇談

さへもありて少しく思慮ある者は一概に其報告を信ぜざる次第なれば或は領事を以て無用

の長物となすに至るやも知る可らず自然の勢なりと云ふ可し此くの如きは畢竟當局者が領

事の選任を重んぜざるの結果にして唯定期の資格さへ備ふれば全く商業に無經驗の者をも

擧げて任命するが如き次第にては其著眼貿易の肯綮に當らず其調査報告の當業者の參考と

なる可きもの少なきも亦怪しむに足らざるなり然れ共今後海外貿易の區域漸く廣く領事の

職務もいよいよ必要の度を增すは必然の成行にして現に政府に於ても領事舘增設の擧もあ

ることなれば以來は其選任を愼重にし無經驗の輩を採用せざるは勿論現任の領事中にても

老朽無能の者は遠慮なく淘汰して之に代ふるに外國貿易に經驗ありて充分その任に堪ふる

ものを以てす可し當局者にして少しく意を用ふるときは此種の人物を得るは敢て困難にも

あらざる可し之が爲に多少の經費を要するも實効にして擧るに於ては毫も厭ふべきに非ず

斯くて領事の選任を重んじて其人を得る上は其報告の如きも自から改良して〓〓〓業者の

參考となるは勿論駐在地に於ける取締其〓〓〓の施設も宜〓を得て我内外の商人は大なる

利益を得〓其利益は彼の小刀細工なる保護干渉の諸法案と同日の談に非ざる可し此他我當

業者が海外に旅行して外國の商情に精通するが如き又は金融機關を擴張して我在外の商人

に容易に資本を融通するの途を與ふる如き皆貿易擴張の方法として有効なるものなる可け

れども我輩は先づ當局者に向つて領事選任の改正を勸告するものなり

敎科書審査會を廢す可し

小學校敎科書の採定に就き地方の審査會員と書肆との間に私の行はるゝは珍らしからぬ沙

汰にして此程新潟縣の事件の如きは只事の表面に現はれたるまでに過ぎず若しも内幕に立

入りて細く取調べたらば各地方共に是種の醜態に乏しからざる可しと云ふ抑も審査會なる

ものは地方の師範、中學、小學の敎員、縣官常置委員等より成立して合議體のものなれば

其取捨も公平にして賄賂などの沙汰も少なかる可しとの趣旨に出でたることならんなれど

も合議體に無責任の擧動を免かれざるは往々見る所にして既に實際に弊風の現然たる上は

何とか改正の工風なかる可らず或は議會などにても國費を以て敎科書を編纂す可しとの議

あり其目的は善良適當の圖書を得て且つ其價を安くせんとの趣向に出でたるものゝよし或

は此趣向に據れば隨て目下の弊風を改むるの利益もある可しとの説もあれども政府の手に

て敎科書を編纂するの利害は姑く別問題として斯くの如くするときは其賣捌方に就て專賣

云々の非難は免かる可らず從前の經驗に於ても明白なれば我輩の所見を以てすれば敎科書

の如きは寧ろ各學校の隨意採定に一任して差支なきを認むるものなり各校隨意とあれば書

肆の輩なども到底運動の力に及ばざるを知りて賄賂の手段も行はざるに至る可し或は敎科

書の採定を隨意に任ずるときは敎育上に不適當の圖書を用ふ可しなどの掛念もあらんなれ

ども是れは文部省に檢定の規則ありて其檢定濟の中に就て取捨せしむることなれば實際に

不都合はなき筈なり又或は各校敎科書を異にするときは試驗又は生徒の轉居の塲合などに

不都合なる可しとの説もあるよしなれども試驗は學力智識の程度を試みるものなれば必ず

しも同一の圖書に據るの必要はある可らず又轉居の如きも東京などの如き寄留人の多き處

には隨て居處の移動も頻々なれども全國を見渡したる處にて田舎地方一般の實際に轉居の

沙汰は甚だ稀れなり東京の如き大都會には自から適宜の便法はある可し田舎の地方に於て

は决して差支を認めざるものなり敎育社會に忌はしき賄賂沙汰などは畢竟審査會の設ある

が爲めなれば今回の如き機會に斷然廢止して敎科書の採用は各地方各學校の隨意に任ずる

こと處置の當を得たるものなる可し