「民業保護の精神」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「民業保護の精神」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

民業保護の精神

政府が國家に必要なる事業を保護して其發達を助くるは文明諸國の例を同うする所にして

其保護は一個人に私するに非ず國家全躰の爲めに事の發達を希望するのみ左れば我國に於

ても海陸運輸等の私立會社に少なからざる保護金を與へて其成立を促し又その營業を助け

て全躰の發達に益したるは今日までの事實にして今後とても尚ほ其必要を見ることならん

至當の處置なれども世間一般の樣子を見れば或は其精神を誤解して政府の保護とは事業其

物を保護するに非ずして當業の人即ち株主等の利益を保護するものゝ如く思ふものなきに

非ざるが如し例へば郵船會社の如き創立の際に政府の保護を得たる其當時の事情は姑く擱

き兎に角に事業の發達は保護の爲めにして近來は歐米の航路をも開くに至りし次第なるに

會社の株主中には利益配當の多少を云々して他の無保護の會社にても一割以上二割を配當

するもの少なからず郵船會社は八十八萬圓の保護金ある其上に海外の各航路には夫れ夫れ

助成奬勵の金を受るにも拘はらず一割二分以上の配當を爲し能はざる筈はなかる可しとて

昨年來一割二分を配當せしめて非常準備の爲めの積立金にまでも差響を生ずる如き會計の

穩なるものに非ず例へば最初政府が八分の利子を保證し株主たるものも之に安心して資金

を投じたる會社にして其以上の配當を得るに至るときは其以上は即ち餘分の利益にこそあ

れば汽船會社ならば其金を以て更らに船舶を改造し航路を擴張するか又は積立金として積

み置き營業不利の塲合の配當準備に供するが如きは永久の計にして又國家の保護に對する

の義務なり積立金を減じても只管利益の配當を多くせんとして事業の發達を二の次にする

は被保険者の義務を忘るゝものと云ふの外なし或は會社の株主は前後を知らず單に利益を

望むのみなる其上に役員も亦多數の株主に推さるゝものにして其意向に反對するを得ず不

本意ながら斯る窮手段に出づるの意味もあらん俗界の人情、止むを得ざる次第なれども社

會一般の人々が傍觀して怪しまざるのみか監督の責任ある政府議會さへも之を看過して異

議を唱へざるは畢竟保護の精神を誤解するものと云はざるを得ず又鐵道會社の如きは假令

ひ政府の保護なきものにても土地使用その他の特權は一般に同うする所なれば自から之に

對するの義務なきを得ず況んや特別に保護金を受る會社に至りては前例と同樣にして實際

に利益の餘分あらんには事業の發達に注意して運輸の便を謀るが爲めに車輛を增し複線を

敷く等、更らに改良擴張す可きこと多々なるにも拘はらず實際には單に利益配當のみに勉

めて只その配當の多きに誇るものなきに非ず此一點より見れば彼の關西鐵道が創立以來利

益の配當一割に上りたることなく時としては無配當のことさへありながら其株主中に配當

多少の苦情なきが如き神妙なりと云ふ可し葢し獨立の私設業にして最初より一個人の利益

を目的に設立したる會社ならんには營業の利益多きに隨て如何なる配當するも銘々の自由

にして差支なきが如くなれども其塲合に於てさへも單に一時の配當を利し積立金等の準備

を疎にして永遠の計を思はざるは頗る危險にして决して得策とは認む可らざるに本來國家

の保護に由て成立し又隨て營業しながら少しく利益あるに至れば恰も其利益を株主中に分

取りして事業の發達如何を顧みざるが如きは何としても相濟まざる次第なりと云ふ可し然

るに實際に今の保護會社の株主輩は斯る擧動して自から憚からざるのみか世間に之を怪し

むものさへ稀れなるは畢竟一般に保護の精神を誤解するもの多きが爲めに外ならざれば苟

も責任の地位に在るものは其誤を正して本來の精神を明にし以て眞實保護の目的を達せし

むること至當の處置なる可しとして我輩の勸告する所なり