「銘銘釋迦孔子たる可し」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「銘銘釋迦孔子たる可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

我輩は過日の紙上に於て人倫道徳の進退に付き士人の責任の輕からざる次第を述べしが一歩を進めて論ずれば今日の事情特に然るを覺ゆるなり古に在て物知りと云へば先づ坊主にして百姓町人の子弟が字を習ひ書物を讀むには寺に入門せざるを得ず御布告の文句に讀み難きものあれば和尚に質問し手紙の往復にも時に其文案を乞ひ家内に風波を生ずれば仲裁を依頼するなど僧侶は恰も教師たると同時に顧問裁判の役目をも帶ぶるが如くにして其社會上の地位甚だ高く世俗の尊信も淺からざりしに世の變遷に連れて平民も學問に出精し文明の教育を受けて一通りの文字を知り事理を解するに至りしに反し僧侶は却て安逸を貪りて奮發の心なく學問智識の點より見れば僧俗の地位全く顛倒して嘗て教へられし者が今は却て他を教ふるに至りしのみならず品行道徳の點に於ても坊主の墮落は著しき事實なり昔は兎に角に表面丈けにても其行状を愼みたりしに今は殆んど公然酒食の慾を恣にして檀家信徒の輩より斯の如き不身持にては寺の維持も覺束なし今後は少しく愼まれたしなど小言を云はるるほどの次第なれば其信用は全く地に落ちて人は其説教に耳を傾けず坊主の職務は單に死人取扱の一事に限れるが如く成行きしこそ淺ましけれ啻に僧侶の不信用に止まらず宗教その物も亦近年聊か動搖の色なきに非ず昔しの人民は其思想單純にして何事も盲信して疑はず是れは神の授け給ひし經典なりと云へば眞實然りとして尊奉し釋迦は斯樣に説きたりと云へば譯もなく有難しとして隨喜の涙を流すのみなりしかども今は則ち然らず智識の進歩思想の自由と共に事物に疑を起して嘗て神聖と信ぜしことも迷信たるを發明し萬世不易と思ひしことも間違たるを見出すこと多し耶蘇も釋迦も英雄には相違なしと雖も等しく普通の人間にして而かも文明の未だ進歩せざる野蠻時代に生れしものなれば其人物も大抵想像に難からず經文なるものは則ち是等の人物が未開の民に向て説法したる行状の規則に外ならざれば爾來幾變遷を經たる今日の世態民情に總て都合よく適合す可しとは思はれず猶ほ出來合の衣服が見に適せざるが如しとは何人も容易に思ひ至る所にして聖人の教にも次第に疑を増し又批評を試み不理窟の文句は存立を容さず儒教の如きは時代の精神と衝突して既に全く信用を失ひ佛教に付ても改革を主張するもの少なからず耶蘇のバイブルも一種の古記録として歴史的に研究すると同時に宗教以外に神徳教を開かんとするものあるが如き何れも現在の徳教に向て不滿を表するものにして假令ひ結局は之に依頼するの外なしとするも多少の動搖は免る可らず僧侶既に無學不徳にして信用を失ひしが上に徳教其物も亦動搖するに於ては何を以て世道人心の敗頽を防ぐ可きか士君子の須く心配す可き所にして我輩は上流の士に向て其責任の重きを顧んことを望むものなり昔しは一人の君主、政を專にして其意思は即ち法律と爲り人民は神聖犯す可らざるものとして只これを仰ぐのみなりしかども人文の進むに隨て君主の專權に疑を生じ民權の説四方に起りて遂に憲法を立て國會を開て人民自から法律を作り以て自から治むるに至れり即ち一人の責任を銘銘の肩に分擔したるものにして道徳界の責任も亦斯の如くならざるを得ず古聖人なるものは今日まで徳義界に於て專權を揮ひしと雖も前にも述べたる如く次第に其教に疑を生じて默從を肯ぜざるものあるに至ては世の士君子が道徳維持の責に當ること猶ほ人民が政權を分擔するが如くにして各各釋迦孔子を以て自から任ぜざる可らず即ち道徳界の共和政治にして聖人の再生容易に望む可らずとすれば今日の風教を維持するには此外に策ある可らず上流社會の責任甚だ重しと云ふ可し一言一行の微も必ず他の模範たるを期せんこと我輩の切に望む所なり