「保守論の根據」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「保守論の根據」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

保守論の根據

世間には保守論の氣焔甚だ盛にして新進の少年までも此病に感染するが如くなれども一體

日本の粹として世界に誇る可きものは何處に在るやと尋ぬれば明白に答辯すること難かる

可し有形の事物を比較すれば彼我優劣の差別は明白にして何人も爭ふこと能はず電氣燈と

提灯、汽車と大八車の類は論外として姑く措き稍々無形に入て政治法律學問敎育に至ても

一切彼に學ばざるを得ず有志者の憂は只これを學で及ばざるに在るのみ是れは國粹論者も

夙に同意する所なれば其論の根據は實利以外の地に求めざる可らず然るに宗敎、美術、道

德、風俗等は誠に漠然たる問題にして尺度以て長短を計る可からず權衡以て輕重を示す能

はず素人も論じ易くして學者も亦判斷に苦む所あり結局水掛論に歸することなれば此所ぞ

即ち保守論者の根據地にして文明軍も容易に進撃するを得ず數理の問題なれば迷信なし算

盤上の利害明白にして直に去就を决す可しと雖も道德風俗等に至ては好惡迷信等の纏綿す

るありて假令ひ理屈に於ては優劣を知るも實際その理屈通りに進退すること能はざるの情

を存して是れ亦保守論の容易に降參せざる一原因なる可し元來西洋と日本とは其歴史を異

にし人種を殊にするが故に其間に發達したる事物も亦自から趣を異にして互に長短なきを

得ず西洋のもの悉く美なるに非ず日本のもの皆醜なるに非ざるは勿論なれども是れぞ日本

の特色なりとて大に誇る可きものなきは我輩の竊に遺憾とする所なり例へば我宗敎の哲理

は深遠なりとて威張らんか耶蘇敎は多年理學哲學の爲めに磨かれて光澤鮮なれども佛教は

殆んど生れたるまゝにして恰も野生の草木の如し假令ひ其質は美なりとするも迚も文明國

民を滿足せしむるに足らずとの議論もある可し或は忠孝は日本の特色にして他に比類を見

ずと云はんか如何にも西洋には高山彦九郎流の忠臣なしと雖も去る代りに國家と云へる理

想を國旗に代表せしめて神聖犯す可らざるものと爲し之が爲めに身命を惜まざるは猶ほ日

本人が君の爲めに忠義を盡すに異ならず有形の本尊を拜するも無形の理想に殉するも其心

は則ち一のみ又親に孝行を盡すは人間の美德なれども東洋の特産なる二十四孝流の孝行は

譽むるに足らず子を私有物視して無限の義務を負はしめながら同時に親の非道を問はざる

が如きは偏頗なる敎にして至道と云ふ可らず之を以て日本の粹として誇らんとするは大な

る心得違なる可しなど論ずるものあらば恐らくは返答に窮することならん或は日本の美術

は特種の風韻ありて世界無類なりとの説あれども是れは只發達の種類を異にするまでにし

て美術の元則に照して果して優等なるや否や容易に斷ず可らざるのみか實學工藝言語思想

等百般の人事みな我よりも進歩したる西洋に於て美術のみ獨り發達せずとは思はれず少な

くとも其優劣は恰も日本服と西洋服とを比較するが如き者とすれば獨り我美術に心酔して

〓〓を排斥せんとするは僻見と云ふ可し風俗習慣に至ては男尊女卑と男女同等一夫多妻と

一夫一婦、上下と燕尾服、〓袖と平袖、チヨン髷と散髪、〓〓と菜食等兩々〓比して孰れ

が良きか説明を待たずして明なるもの多し左れば保守論の根據は甚だ薄弱にして其領分の

次第に蠶食さる可きは疑ふ可らず實利の世界は既に歐化して學問技術一として彼に學ばざ

るものなきのみか風俗習慣も漸く一變せんとする今日に至て尚ほ一局部に籠城して徒に舊

物を守株せんとするは天下の大勢を解せざるものにして譬へば春陽來復して川々の氷も解

け山頂の雪も消えんとする時に當りて一片の氷雪を蓄へて獨り嚴冬を求めんとするに異な

らず只痴情と云ふ可きのみ活眼看來れば文明の局量は甚だ廣くして日本流の美術を容るゝ

のみならず世界諸國の風俗習慣中にも自から採る可きものなきに非ずと雖も只管舊物古風

に心醉して他を排斥すれば我は滋養分に富める食物を得ずして瘠せ衰へたるまゝ世界の片

隅に孤立せざるを得ず即ち西洋諸國は根を四方に擴げて枝葉繁茂せる大木の如くなるに反

して日本は恰も盆栽の松に等しく只物數奇の眼を喜ばしむるに過ぎざる可し左れば今日の

要は只速に盆栽の鉢を叩き壞して沃野の中央に之を移植し以て亭々たる喬木たらしむるに

在り既に一握の土は以て草木を養ふ所以に非ざるを發明し半ば鉢を破りて多少根を大地に

移しながら其途中に至りて躊躇するが如きは男兒の未練ならずや國を開かば大に開く可し

進まんとならば斷じて進む可し虚心坦懷、思切て世界の事物を容るゝと共に世界に向て大

に我を容んことを求め共に方向を與にし運動を共にして始めて國運の隆盛を見る可きのみ

我は東洋人なれば東洋風を維持せざる可らずとて自から劃し彼れ亦日本は到底我等の仲間

に非ずとて擯斥せば障碍百出して到る所蹉跌す可きは明白なり假令ひ國の位地は東洋に在

りと雖も人事は總て西洋風にして彼等をして自から同類たるの感を起さしむるこそ大切な

れ國民は今日より歐洲の中央に國替へしたるものと心得べきのみ