「 幣制改革と産銀地の經濟 」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「 幣制改革と産銀地の經濟 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

 幣制改革と産銀地の經濟 

近頃在秋田縣の社友某氏より本社に寄せたる書信の一節に曰く

 【前略】田舎の狀况は何時も同じ事にて格別珍らしき事もなけれども只此に一つ注意す可きは銀貨自由鑄造の廢止が當地方の諸鑛山に一大打撃を與へたる事にて一方に諸物價の騰貴と賃銀の高直との爲めに生産費は從來に比して三四割を増したるに一方には銀塊の相塲次第に下落して殆んど底止する所なく加ふるに銀貨鑄造廢止の爲め相塲に拘はらず賣口を失ひたる姿となれるを以て縣下の諸銀鑛は何れも收支相償はず從て小銀山は續々事業を休止し中には全く廢業したるものも少なからず有名の大鑛山と雖も現在の有樣にては大抵一箇月數千圓以上の損失ある勘定なるを以て多くは事業を縮少し又は折角着手したる擴張の工事をも半途にて見合せ世上の成行を窺ひ居るものあり其影響は獨り鑛山主の損失に止まらず延て縣下一般の商業に波及し諸鑛山より出入する貨物の減じたるが爲めに幾分か不景氣を來したるの觀あり今後銀價にして今日の儘ならんには當地方大小の銀山は數年を出ずして殆んど皆將碁倒しとなりて一地方の經濟上に由々敷影響を及ぼす可し右は獨り當地方のみならず何處の銀山も大抵同樣の運命なるは云ふ迄もなき次第にして唯當地方は銀鑛を以て有名なる丈けに厄難も一層甚だしきものなり云々

歐洲諸國が幣制上排銀の策を採りしより以來銀價は次第に下落して銀鑛主は非常の損

失を被むり銀産國を以て有名なる米國の如き屢ば銀鑛主に迫られて銀價恢復の策を施

したれども一國の獨力を以て世界の大勢に抗す可くもあらず銀價は滔々下落して今日

の如き相塲を呈するに至りアリゾナ、コロラド附近の銀鑛中停業したるものも少なから

ざる由なるが幸に我國の銀鑛は政府が從來銀貨の自由鑄造を行ひたるを以て隨て採掘

すれば隨て賣るゝ其趣は貨幣を採掘するに異ならざる其上に往年洋式製煉法を實施し

て大に生産費を低減したるを以て世界銀相塲の低落、====格別の國難なくして採掘

を繼續し=□□□□□□====は年々増加の額ありて之が爲めに銀産地の繁昌を來

したるは世人の明に認むる所なるに然るに政府が本年三月幣制改革の奇法を演出して銀貨の自由鑄造を停止したるより右の書信にも見ゆるが如く銀鑛業に非常の困難を與ふるに至れり而して其困難たる啻に銀鑛主のみに止まらず銀鑛の採掘にして停止すれば從來銀鑛に從事したる者は一朝忽ち職を失ふて自から地方の商賣を衰=せしめざるを得ず今後我國の銀鑛を維持せんには大資本家が永遠の利益を謀り充分の資金を投じ電氣製煉の如き新式の方法に依て大に銀の生産費を減少し今日の安直に騰りても利益あるに坐れば兎も角も然らざる以上は各地方の銀鑛は續々採掘を停止し産銀地の經濟に容易ならざる影響を及ぼすことならん而して其近因は全く幣制の改革に在りとすれば政府の輕擧暴斷も亦恐る可きに非ずや固より幣制改革の可否得失は事の一面を見て直に之を斷ず可らず社會全體の經濟に利益ある以上は一地方の利害の如き毫も顧みる所に非ず諺に小の蟲を殺して大の蟲を生かすと云ひ又脊に腹は代へられぬと云ふは即ち是等の意味にして小利害の爲めに大利益を抂ぐ可らざるは勿論なり幣制改革の爲めに銀産地が非常の困難に陷りたるは即ち小の蟲を殺し脊に傷を負ひたるに外ならずと云はんか然らば之が爲めに大の蟲を生かし腹部に傷を免かれたるの事實ありや金貨論者は頻りに幣制改革の効能を述ぶれども要するに非を蔽はんとするの曲辭にして貿易上財政上非常の損失を招く可きは我輩が屢ば論述したる所にても明なる可し即ち幣制改革は小の蟲も大の蟲も併せて無益の殺生を行ひ脊と腹と同時に怪我して無病息災の經濟社會に大患を被らしめたりと云ふの外なし當局者にして尚ほ辯解の辭あらば能く大の蟲を生かし腹部に傷を免かれたるの事實を示す可し今日これを示す能はざれば來年は屹と如何なる可しと慥なる見込を明言せよ我輩の切に聞かんとする所なり