「工務省設置の説」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「工務省設置の説」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

工務省設置の説

此頃政府の邊にては工務省設置の説を唱ふるものありと云ふ其趣旨を聞くに逓信省所轄の電信鐵道等の事業及び内務省土木局所轄の事業を一括して一省に集め又國中の工業に關する事務を監督せしむる目的なりと云ふ其得失談は姑く後に讓り政府の有樣を見るに差當り事の始末す可きもの甚だ少なからず即ち行政整理の必要なる所以にして大に奮發して着手する覺悟のよしなれども果して效を奏するや否や未だ知る可らず蓋し整理とは必ずしも収縮の意味に非ず從來の不始末を始末すると同時に事に由りては更らに擴張の必要もあらんなれども第一の着手は先づ部内の掃除より始めざる可らず喩へば行政整理は古家の手入の如し先づ天井の煤を拂ひ四壁の塵を拭ふて屋内を清潔にし造作を仕換へたる其上にて尚ほ住居に不便とあれば更らに座敷の建增に着手す可きのみ古家手入の順序なるに然るに政府は其整理を宣言しながら未だ部内の掃除にさへも着手せざるに早く既に工務省新設の議を唱ふるが如き本來の順序を誤るものと云ふ可し目下の事情に徴して新省新設の不可なるは右の如しとして更らに其利害に就て論ぜんに工務省は電信鐵道土木等の事業を從來所管の各省より引離し一括して之を官吏するものなりと云ふ内務省をして土木の一局を割かしむるが如きは差支なからんなれども若しも電信鐵道等の事業を逓信省より奪ひ去るときは同省の仕事は殆んど皆無に歸して實際に廢省を宣告するに異ならず逓信果して無用の贅物ならんには之を廢するも差支なけれども實際には單に逓信の名を廢して其事務を新設の工務省に移すに過ぎず果して然らば内務の土木局を今の逓信省に合併したると同樣の結果に過ぎざるのみ或は工務省の目的は敢て逓信の仕事を奪はんとするに非ず只逓信鐵道等の作業を引受るのみにして逓信運輸の事は依然逓信省に委任す可きのみ即ち内務の土木を引受るも同樣にして唯工事の請負を爲すに過ぎずと云はんか果して此説の如くならんには海軍の軍艦、陸軍の銃砲の如きも工務省に引受けて差支なきが如くなれども軍艦兵器の製造にして海陸軍の手を離るゝこと能はざるの必要あらんには逓信鐵道の仕事も自から逓信省に附屬せしむるの便利を見るべし本來を云へば電信鐵道その他の工事の如き國家公共の事業と稱するも其工事の實際は之を民間に請負はしめ政府は只これを監督するのみにて差支なきものなるに政府自から工務省と名くる一種の工事請負省を開て自から營業するが如きは無用の勞と云はざるを得ず何れの點より見るも我輩は工務省設置の必要を認むること能はざるものなり

或は曰く工務省の設置は主張者と雖も眞實その必要を認めて主張するに非ず近來政府は人物登用云々とて頻りに新進の輩を用ひんとしながら舊物の放逐は種々の情實の爲めに容易に行はる可らず何分にも地位の乏しきに窮して彼の農商務省内務省などが人を容るゝが爲めに殊更らに局を增置したる故智を襲ひ更らに其規模を大にして工務省の新設と出掛けたるものならんとの説あり果して此邊の意味合もあらんには因循姑息只驚く可きのみ聞く所に據れば今の大臣中には所謂伴食宰相とて部内に重んぜられず居るも居らぬも差支なき人物ありと云ふ早速この種の輩を取り除けたらば内閣の椅子にも差當り一二の空位を生ず可し况んや次官局長の地位の如き其取換へは甚だ容易なる其上に更らに官吏登用法を廢するときは新人物の登用、自由自在なる可し何の譯けもなきことなるに必要もなき新省を設置して人物登用の地を爲さんとするが如き自から決斷の足らざるを表白するものにして斯る次第にては行政整理の始末なども先づ以て覺束なしと云はざるを得ず我輩の甚だ取らざる所なれば政府果して大に為すの考ならんには自から決心斷行を期して斯る無益の窮策は先づ以て思ひ止まる可きものなり