「武官組織不可なり」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「武官組織不可なり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

武官組織不可なり

臺灣總督府の官制は從來の武官制度を止めにして總督は文武官の中より任命するの説もありしかども或る部内の異議の爲めに其説も行はれずして更らに復舊の模樣なりと云ふ何れ近々の中に發表することならんなれども拓殖務省の廢止以來既に幾十日を經ながら善後の方法に付き内議紛紛とは堪へ難き次第なり抑も我輩が拓殖務の廢止を唱へたるは臺灣改革の第一着手として主張したるのみ政府が事を改むるに吝ならずして直に廢止を斷行したるは誠に嘉す可き所なれども肝腎の目的を達する一段に至りて斯る始末を見れば其廢止は世間の物議に狼狽し前後の考もなく匆匆决したるものにして斯くと定まり成算ありしに非ず否な我輩の所見を以てすれば政府は最初より嶋治の施設に就て一定の方針なきものと認めざるを得ず臺灣を受領して着手以來殆んど三年、一事の見る可きものなきは即ち方針の定まらざるが爲めにして當局者の責任として〓家に對して申譯けなき次第なりと云ふ可し官制の改正に付き總督を武官に限る可きや否やは議論の最も喧しき點なりと云ふ本來我〓に於ては只その人物の如何を見るのみ苟も其人を得るときは武官たると否とは敢て問ふ所に非ざれども既に總督に〓上の權限を附與し恰も臺灣王に封じたる覺悟にて一切萬事自由に處置せしむるには地位名望共に第一流の人物を要すること勿論にして其人を得る容易ならず誠に我輩の見る所を云へば西郷など最も適任なるが如し西郷ならば幸ひ武人にして武官制度にても差支なけれども他に求むるときは差當り井上などに指を屈せざるを得ず然るに井上とあれば既に不合格なりと云ふ全く武官と限るときは其選擇甚だ窮屈にして人を得るの難きを見る可し或は第一流の人物は容易に得がたしとして軍人中に就て更らに第二流のものを求めんか自から人に乏しからざることならんなれども軍人は本來武邊一偏の專門家にして〓の長所を望む可らず國家の爲めに奮發して熱心事に當るも萬一失敗するときは其結果甚だ妙ならざる可し例へば現任の乃木と云ひ又昨今後任の噂ある野津と云ひ將軍としては孰れも立派なる人物にして赫赫たる戰勝の功名、〓に日本軍人の花のみならず其威望は〓に〓下の士心を收攬して用を爲さしむるに足れり軍國必要の人物なるに若しも之をして專門外の事に當らしめ萬一失〓の失態を〓〓るとあらば如何なる可きや其失〓は何人も〓かれ〓〓〓なれども〓人〓らんには只無能の〓を表するのみ〓〓の〓を〓〓〓〓〓〓差支なけれども軍人に〓ては〓〓〓其失策と自から〓軍たる〓〓〓に影響して他日本職に復して再び軍隊を率ゐるに當り部下の〓〓〓〓自から〓〓の如く〓〓〓〓の事〓なきを得ず喩へば町内に頭領と仰がれて若者共一圓に心服した〓〓〓〓〓自から商賣に手出して〓に失敗〓〓〓と〓〓〓〓〓〓たるの〓〓〓〓〓〓〓爲めに〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓も若者の〓〓〓〓〓〓〓白から〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓威〓〓〓〓〓〓〓ものと〓ふ可し〓一〓〓〓〓〓〓〓に軍人〓〓〓〓〓き我輩の斷じて取らざる〓なり或は露國の西伯里地方の如き純然たる軍人組織にして一般の施政は勿論、鐵道事業の如きも軍人の手に一任して其成績着着見る可きものあり臺灣の經營も軍人組織にて差支なし否な是非とも其組織にせざる可らずとの説などもあるよしなれども西伯里の開拓は專ら軍事上の目的に出づるものにして露國にては之が爲めに莫大の費用を吝まず汲汲として只其目的を達するに勉むることなれども我國の臺灣に於けるは大に事情を殊にするものあり嶋地の既に版圖に歸したる以上は四國九州も同樣にして萬一の塲合に之を守るの必要は敢て本國に讓らず寸歩も他の蹂躙を許さざるの决心肝要にして軍事上の施設固より等閑に付す可らずと雖も抑も同嶋を割讓せしめたる本來の目的は殖産興業の利を收め國の富源に資するが爲めにして兵備は只萬一に備ふるのみ露國が西伯里の事を擧げて一切軍人の手に附し如何なる困難費用をも辭せずして只管南進の路を開かんとするものと同樣に見る可きに非ざれば單に其例に傚ふて他を見ざるが如き本來の目的に反するものと云はざるを得ず或は内議既に武官説に决定したりと云ふ其如何を知らざれども斯る窮屈不通の説は斷然排斥し實際に人物を得るを第一とす可きのみ戰後の經營云々と云ふ中にも臺灣は戰勝の形見とも見る可きものにして經營の最も急なるものなり然るに着手以來殆んど三年、一事の見る可きものなしとありては内外に對して申譯ある可らず區區たる異議に頓着せずして大に决斷す可きものなり